山は熟年組が大活躍!
日本山岳会の機関誌「山」に江本嘉伸氏が「エヴェレスト63歳の登頂」と題して下記の文章を投稿されています。
山はエヴェレストだけではないが、世界最高峰はやはり話題に事欠かなかった。
まず、日本人が登頂最高齢記録を大きく塗り替えた。
チベット側から入山していた法政大学隊の登攀隊長、山本俊雄は5月19日午前1時30分、シェルパのパサンキダル(21)、ナワンドルジェ(35)とともに第六キャンプを出発、9時38分に8848メートルの頂上に立ち、この瞬間世界最高年齢登頂記録を更新した。
山本は、この日63歳331日、昨年5月にサルキーソフが達成した「60歳161日」を3歳以上も上回っていたのである。
5月17日そろって頂上を目指した日本の三隊の成果は大したものだった。法政大学隊は、シェルパの村として知られるロールワリン出身の強いシェルパたちのルート工作で先行し、三次にわたるアタックのすべてに成功、山本を含む四隊員と六人のシェルパが登頂した。
東北地区隊も5月17日に八嶋隊長ら三人が、19日にはさらに三人が登頂した。その一人、山形県の今野一也は61歳で、その時点で
サルキーソフの記録を抜いて最高齢登頂者となった。北海道エベレスト登山隊も17日、江崎幸一隊長ら三人が登頂、うち高橋留智亜
(34)は、日本女性4人目の登頂者となった。
天候を逃がさずにアタックし、どの隊も無傷で下山したことは、特筆されていいが、それにしても、恐れ入った中高年世代の頑張りである。
山本自身は「登れたのは”運”です。隊として天候の読みが実によかった」と、控え目だが、63歳の登攀隊長の登頂は、ベースキャンプ
より上には登らない隊長や熟年サーブが普通だったヒマラヤ登山の”常識”をあらためて粉砕した。
大学山岳部が気を吐いた、という見方もできる。明大、愛知学院大、日大、立正大と続いてきた大学山岳部組織のエヴェレスト挑戦を法政大学隊は、高年齢者中心にやってのけたのである。
5年前、山岳部創立70周年を記念してチョーオュー(8201メートル)に挑戦、全員登頂の成果をあげ、そこから「次はチョモランマ」という目標ができた。しかし、当初は「単なるシルバー隊では・・・」との逡巡もあったらしい。それだけ山本以下シルバー世代が本気になった、ということだろう。
中村敏夫隊長は隊のホームページに「この成功は登頂者だけの栄誉ではなく、参加18名全員の勝利であり、サミットの瞬間は、このときとばかり拳を上げ、泣き叫び校歌を歌った。(中略)創部75周年いつかは、誰かが果たさなければならない宿命だったようにも思える」
と書いている。
そのチョーオューでは、イエテイ同人隊の平田恒雄(広島県)が65歳の登頂を果たした。これまた8000メートル峰登頂最高齢記録である。
谷川岳滝沢リッヂで惜しくも遭難した労山の吉尾弘会長のケースもある。人の行かない難ルートをめざす、ごく一部のクライマーを別にすれば、還暦を過ぎた現役が、ここ当分は山の世界をひっぱってゆく気がする。
ところでエヴェレストでは女性のほうも最高齢登頂者がでた。ポーランド女性のアンナ・チェルビンスカで、50歳。96年5月、難波康子(下山時遭難)の47歳を、これまた3歳上まわった。
記録のついでにいえば、スピード登頂記録も更新された。
ネパール人のパプ・チリ・シェルパで5月21日、ベースキャンプから頂上まで16時間56分で登ってしまった。無酸素である。
1988年9月26日、フランスのマルタ・パタールが22時間29分でエヴェレストのてっぺんに立った時、世の中は驚いた。
「エヴェレストを速く登ること」に情熱を傾ける者がいることに驚いたのだ。エヴェレストに三回の登頂記録を持つ33歳のカジ・シェルパ
(注)は、その記録に挑戦した。98年10月16日、五人の仲間に支援されて、頂上に向かい、「18時間以内」の目標は達成できなかっ
たが、「20時間24分」のスピード記録を作った。
今回、34歳のパプ・チリ・シェルパはそれを、さらに3時間半ほど縮めたわけである。
新ミレニアムを迎えるエヴェレストで、半世紀前には信じられない記録がつくられつつある。そのことは、半世紀前まで難攻不落だったこの山が、登山の対象として大きく変質しつつある
ことの証でもある。
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(注)カジ・シェルパとは、藤本が昨年夏にスイスに出かけたとき、偶然にもチューリッヒのユースホステルで同室であり、その時、彼がエベレストのスピード記録者と知り驚きました。
彼の肉体は筋肉マン、そのもので足の太股などは筋肉ではち切れていました。
普通シェルパは痩せ形で日本人の体型とあまり変わらないが、カジ・シェルパの体型は一目で違うのがわかりました。