巨星墜つ

藤本 勇

 平成181120 大橋秀一郎さんが88歳で天寿を全うされました。

西宮市の山手会館で通夜と告別式が執り行われ、祭壇にはたくさんの菊の花に囲まれた大橋さんの慰霊のお写真が飾られていました。故人は生前われわれの山岳会の遠征にはランタン・リルンをはじめカンジロバ・ヒマール、四光峰と格別のご支援を賜りました。

故人との思い出は、皆様それぞれにお持ちのことと思いますが、私にとっての最大の思い出は四光峰の遠征隊の資金集めでした。当時、故人は遠征隊の実行委員会の会長をされており、在阪の銀行の四行で2400万円は集まると申されていましたが、結果は1200万円しか募金を集めることが出来ませんでした。その責任をとられたかどうか知りませんが、故人はポンと1000万円の大金を遠征隊にご寄付をされました。当時、最高顧問であった泉さんは『さすが大橋やなぁ。社長をおりても大したもんや』と申されていたことが鮮烈に思い出されます。そのお蔭で無事に遠征隊を送り出すことが出来ました。

また毎年、春の桜の満開のころには、ご自宅の庭で花見の宴を開いていただき山岳会の若手に美味しい松坂肉のスキヤキをたらふく食べさせていただきました。夏には六甲山にある日本で最古のゴルフ場でゴルフコンペを何度か開いてくださり、ご自分は最後までプレイされることはなかったと記憶していますが、若手が楽しくゴルフをしている様子をみるのを楽しみにしておられました。

故人はここ数年、公の場には姿を見せられませんでした。告別式の会場のお写真は今年の8月に米寿の祝いのときのお姿だったとお聞きしましたが、往年のダンディな故人のお姿が偲ばれました。お酒をこよなく愛して、亡くなる前日まで好きなワインをお飲みになり、最後はご家族に見守られながら、まるで木の葉が風もないのに落ちていったように静かに旅立たれたそうです。

通夜、告別式には大勢の参列者が見え、市大山岳会関係でも普段、総会には顔を見せられない方々も来られていました。これも故人の人徳だと思います。リルンの森本夫人、馬野氏、中村氏、卒業以来はじめての小林(旧姓服部)てるさん、常慶氏、尾形夫妻など。市大以外では関西登高会の浅野夫妻、JACの阿部さん、宗実さん、日本ネパール協会の薬師さん、大阪山の会の吉永さんなども来られていました。

これからはきっと極楽の山々を先に逝かれた“大阪商大山岳部”の方々とご一緒に登られることでしょう。

いまはただ故人のご冥福をお祈りするばかりです。

                       合掌