臆病者の遠吠え

和田城志

 深夜にわめく男がいた。「朝鮮人を殺せ。おまえらぬるま湯に浸かって、何をやっとるんじゃ、、、ハイル・ヒトラー」と怒鳴りながら、住宅街をうろつく。腹に据えかねて、注意をしに外に出た。案の定、喧嘩になった。警察を呼ぼうとしたら、手の平を返すように、謝りだした。右翼だという、執行猶予中だという。
 私はこの頃、気が短くなって、よく喧嘩をする。高校生が相手の時が多いが、たまにはサラリーマン風の酔客ともやる。話して分かるような奴じゃない、と思い込んでいるせいだろう。超ベストセラー、養老猛の「バカの壁」を読んだが、内容はともかく、彼の思い込みも深刻だ。人間は分かり合えない、と言っているに等しい。私の短気も、彼と同じ状況なのだと、変に納得した。がしかし、この本には、だからどうすればいいのか、という示唆がない。インテリの遠吠えが流行るようでは、先行きがちょっと不安だ。世界は戦争に馴らされている。皆、バカの壁にぶち当たって、威勢振る。力の誇示は常に心中の脅えの裏返しだ。この右翼もイラクのアメリカ兵と同様にびくびくしているのだろう。
 ポール・ヴァレリーの言葉に「人は、他者と意志の伝達がはかれる限りにおいてしか、自分自身とも通じ合うことが出来ない」というのがある。心当たりがある。良い言葉だ。養老猛は、「バカの壁」が自分にも例外ではないと、科学的説明でバランスをとろうとしているけれど、本当は「バカの壁」は、もともと相手にあるのではなく、自分にだけあるのかもしれない。自分の臆病さ加減に意を凝らせば、物事の本質は自然に浮かび上がって来そうに思うのだが。
 臆病と言えば、その最たる部類の人間にアルピニストも含まれる。アルピニストが敢えて危険に身をさらすのには理由があるはずだ。それは決して、健康促進や風光明媚探勝のためではない。生活(仕事)の充実を前提とした余暇としての登山は、ある種毒気を中和された知的活動で、ぬるま湯的なのだ。だから、登山愛好家はアルピニストとは言わない。 アルピニストを極言すれば、死の戦慄を意識した現実生活逃亡者と言える。つまり、臆病者の自己ちゅうなのだ。ビンセント・ヴァン・ゴッホの十年間の画業(美への憧れと死の誘惑と)もアルピニズムに似ているところがある。だから、ゴッホが天寿を全うして描き続けることができなかったように、アルピニストも登り続けることはできない。死ぬか止めるかだ。実際、優れたアルピニストはほとんど遭難死している。
未踏峰だ、八千だ、パイオニア・ワークだ、と言っても、それらは登山の本質的動機ではなく、部外者が登山を理解する手助けにしているだけのことで、当事者はもっと卑近な日常的(時として非日常的な)情動で山に向かっているのである。田口二郎は高木正孝を評して次のように述べている。
 「山登りの本質は、その人がすべてを忘れてその行為に一瞬一瞬打ち込むのが本来の意義であろう。そうして高木の場合には、登るという動機と目的以外に、かつて登山を試みることはなかったのではなかろうか。そういう意味で高木は実に完全な登攀者であった」
「 登る」ということが動機であり目的である、という田口の言葉は正鵠を射た言い方だ。高木(つまり、田口自身)がこういう心境で山に対峙していたことは、第二次世界大戦の渦中に苦しんでいた青年達の心情を想像させる。無意識な自己防御が自閉的心空間を作り出していたのだろうか。分かるような気がする。また、次のようにも述べている。
 「今にして思えば、高木にとって登攀は山という外界物と、彼に深く内在するエゴのたえまない接線であって、これから生じるドラマチックな複雑な経験の起伏が、登山の同伴者の存在とは全くおかまいなしに、さまざまな心理的振幅を、彼の心の世界に呼び起こしていたに相違ない。いや、彼は自分を登山という〃場〃の実験の具に供して、自分をたえまなく凝視していたのだ」
しかし、高木と田口が臆病者だったかというと、どうも違うような気がする。1945年8月、敗戦をスイスで向かえた二人は、ヴエッターホルン北壁を登攀する。この時の二人は、敗戦に打ちひしがれ、自暴自棄に山に向かったのではなくて、来るべき新時代への意気込みを示したのではないか。まったく身分保障のない高木が、スイスの女性を伴侶にして帰国したことも痛快だ。もっともこれは高木が偉いのではなくて、先行きの見えない敗戦国日本を選んだ彼女が偉いのであるが。彼は外国の女性に非常にもてたそうだが、偏狭なナショナリストには思いもよらないスケールの大きな男である。
 二年後、アメリカ経由で帰国した二人は、新聞社特派員だった田口は実業に、ベルリン大学に籍をおいていて大使館の翻訳官であった高木は神戸大学社会心理学教室に、それぞれ生活の糧を見出す。そして、今西錦司率いるマナスルの偵察隊に参加して、日本のマナスル登頂への途を拓くことになる。
 ひるがえって、自分を顧みると、高木の孤高の精神には程遠いことが分かる。私の登山は社会からの逃避であった。暴走族的単独登攀をやってきたのも、結局はテストの前になると、哲学書や文学にのめり込んで、勉強した気になるのに似ている。
 世界は右傾化しつつある。リアリズムを単純な民族主義で理解したつもりになっている。自衛隊の治安出動を匂わして外国人犯罪を取り締まろう、と言った臆病知事がいたが、そういう世の中のきな臭さに苛立ち、暴力を肯定的に見てしまう私自身が、臆病者の遠吠えをしているのだろう。右翼と正反対の立場を信じる私が、その精神構造が似ているというのが、正に私自身の「バカの壁」なのだろう。
 だが、私はラッキーである。大言壮語を嫌った、臆病者でない真の登山家を知っているからだ。冠松次郎、宇治長次郎、ヘルマン・ブール、ハロルド・ティルマン、高木正孝、彼らは偉大なる指針を残してくれた。ティルマンの足跡については前号で紹介したが、高木の足跡はまだ詳しく知らない。パタゴニア探検記のみである。高木が失跡した南太平洋マルケサス群島ファツ・ヒヴァ島はゴーギャン終焉の地である。ゴーギャンも妻子を捨て、芸術と心中した点はゴッホと似たようなところがないことはないが、ゴッホのような狂信的フリーソロクライマーではない。彼の南太平洋への逃避行は理解出来る。
 私はティルマンのみならず、高木正孝の足跡も辿らなければならない。両者に共通するのはパタゴニアである。ティルマンのミスチーフ号初航海はパタゴニアの初横断を成功させたし、高木は北部氷陸地帯のアレナーレスを初登頂した。行きたいところが次から次へと出て来る。やっと淡路島に上陸できた程度の休日セーラーなのに、法螺話も度が過ぎるか。偉大なる孤高の登山家、ティルマンと高木正孝はともに海に消えた。臆病者の私は彼らに憧れながら、遠吠えするだけで終わるのだろうか。

補筆、小熊英二著「民主と愛国」は、久々にずっしりと感動した本だった。学者が羨ましいと思った。