知床流氷紀行
(厳冬期の単独行記録)
尾形 達也
サシルイ岳より見た硫黄岳
今年の計画も昨年と同じく知床半島、峠から岬までの縦走を計画した。
今年は何としても成功させたい、昨年の雪辱を果たしたいという強い思いがあった。その思いが自分自身にプレッシャーをかけ、出発が近づくに連れ重苦しい気分になっていた。自ら計画してしまったあまりに大きすぎる山に、正直ビビっていた。
2001年12月22日
前夜大阪発の予定が、阪和線の事故で関空発の最終便に間に合わず、早朝の便での出発となる。羽田で乗り換え女満別空港へ、送っておいた食料と燃料を網走の郵便局で受け取り、JR、バスを乗り継ぎウトロの知床センターより入山。事故のおかげで3時間遅れのスタートとなった。
知床横断道路を1時間ほど歩きテントを張る。
2001年12月23日
横断道路を知床峠まであがり、さらに峠から羅臼岳目指して樹林帯を登る。南西側の斜面から取り付き、途中で南面にトラバースし森林限界近くで幕営。樹林帯の中はラッセルが深く、最後の1時間は空身でのラッセルであった。
ここでは磁北の西偏角が10度近くある。すっかり忘れて当初進路を左に取りすぎ、少し遠回りをする破目になった。
高度が上がってくると視界はほとんど無くなってきた。ここでのいつもの天気といった感じか。天気予報では明日から二日間の好天を予想している。
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羅臼岳頂上直下 三ツ峠から見る羅臼岳
2001年12月24日
今朝は空が明るい、しかし羅臼岳の頂上付近はガスの中である。空身のラッセルを1時間足らずで森林限界を超え、そこからは凍ったハイマツを踏んで、岩場の切れ目を目指して直上する。傾斜が強くなったところでストックをピッケルに持ち替える。風が強く左の頬がヒリヒリする。天候は時間の経過とともに回復し、頂上を過ぎ羅臼平に下る頃には快晴無風状態となった。
この日は少し残業をし、知遠別岳近く尾根の東側の平坦地に幕営した。
2001年12月25日
夜中から風が吹き出した。風向きがクルクル変わりテントはもみくちゃ。テント設営時は無風で天気の見通しも甘く見ていたので、ブロックの積み方もかなりいい加減だった。油断した。
幸いつぶされるほどの風ではなかったが、撤収には結構手間取った。
今日は視界がほとんど無く、風も強くてまっすぐ歩くにも苦労する。知床らしくなってきた。しかし東岳さえ越えれば後は一気に高度を下げるので気分は楽だ。天候も急速に回復し、のんびり下る。
標高400mを切ったあたりで泊まる。
2001年12月26日
快晴、気温も高い。今日は樹林帯のラッセルで終始する。このあたりは縦走中でもっとも高度の低いところである。
海岸線がすぐ近くに見え、自動車や漁船の音もよく聞こえる。ここからなら数時間で下界に出られるだろう。
昼から天気が崩れ、雪が降り出した。
2001年12月27日
朝から風雪。この天気で知床岳を越えるのは不可能、手前の高度の低いところまでと考え、朝寝を楽しみ、出発を遅らす。
ところが予定地点に至る前に天候が回復、視界はともかく雪も風もなくなった。先にルートを延ばすにしては、安全なサイトまでは時間的に不安がある。悩んでいるうちにガスが切れて正面に知床岳のまっ白な姿が現れた。招かれるようにして頂上に向かって歩き出す。行くしかない、ペースを上げる。
頂上に出たとたん目の前に流氷に覆われたオホーツク海の景色が広がり思わず叫んでしまうほどの感動を覚えた。
知床池のほとりで幕営。不注意でテントのポールを折ってしまった。
2001年12月28日
今日も流氷のオホーツク海を見ながら歩く。昨日より、海面を覆う流氷が多くなっている。
凍り付いたハイマツの上を、時々踏み抜くものの快適に歩く。この辺りは高さ3mを超えるという「オバケハイマツ」が密生しているとのこと、無雪期にはハイマツの海を泳ぐようにして進むらしい。
ウイーヌプリの付近は、やたらと人臭かった。伐採され丸裸になっており、頂上には三角点の標識、登山靴の残骸。なんとも興ざめである。
今日は岬の灯台がみえるところまで進んだ。
2001年12月29日
今日はブッシュがうっとおしい。昨日はハイマツを踏んで歩けたが、今日は雑木をかき分けて進む。なかなか距離が伸びない。このあたりは鹿の足跡だらけである。だがその姿は見えない。
岬一帯は広大な平原になっていた。高台上の灯台から岬を見下ろすと、今まで姿の見えなかった鹿がたくさんいる。すごい数だ、百頭くらいか?
岬は流氷で埋め尽くされており、さらに根室海峡にも帯状に入り込んでいる。
岬の最先端部分は岩稜状に海に突き出し、その最先端で、海を眺めつつしばらくたたずむ。よく見ると、隣の岩稜の方がここより少し先に出ているようだが、まあいいだろう。
この日は番屋の立ち並ぶ海岸を赤岩まで進み、テントを張る。
今まで倹約に努めていた燃料を贅沢に使いだす。ほとんどつけっぱなしだ。
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知床岬 岬の海に流氷が押し寄せていた
2001年12月30日
朝から霙が降っている。気温も波も高い。羅臼までの帰路はほぼ単調な海岸歩きであるが、海に突き出た岩場の高巻きやへつりがポイントである。今日は「カブト岩」の高巻きからだ。縦走中一度も使わなかったアイゼンをはく。
「念仏岩」の巻き道も厄介だった。残置のフィックスロープに頼って通過する。「ペキンの鼻」の巻き道は急な雪壁でそれ以上に悪かった。
しかし、このようなところにも鹿の足跡が多数ある。
次の岩場はへつる予定だったが、高波に洗われておりまったく手がつけられない。明日朝の干潮時に通過することにし、テントを張る。
2001年12月31日
夜半から風が吹き荒れている。幕営場所は露岩の陰で安全に思えていたが、テントは激しくゆれる。海は沸き立っており、海岸線の通過はまったく不可能だ。沢を溯り、山の中を大高巻きすることにした。
昨日越えたペキンの鼻に再び登り返すが、鼻の上の台地は強風で歩行不能、奥の樹林帯までの約100メートルを腹ばいになって進んだ。ここが今回の山行では最難関であった。
高巻の途中で幕営するが、谷の中の樹林帯でもよろけるほど風が強い。ブロックを積み、屋根の無いガレージのようなサイトを構築した。
この日羅臼の町でも強風が吹き荒れ、電柱が倒れて数百世帯が停電したらしい。
2002年1月1日
晴天、風は強いが歩行に支障はない。
今日も海岸線から離れて山の中を高巻く。ウナキベツ川の河口でようやく海岸線に戻る。次の難所「観音岩」は小さく巻けた。巻道は雪壁になっていたが特に問題はなかった。
後は海浜を歩くだけである。緊張感もまったく失せ、山側の斜面をうろつくエゾシカや、対岸の国後を眺めながらポテポテ歩く。山行の余韻にひたるにはちょうどいい。
相泊からは、通りかかった地元の方にヒッチハイクさせてもらえた。羅臼の温泉旅館に一泊し、翌日バスで釧路に向かう。この日も快晴で、車窓から知床連峰が見渡せた。
目的の達成度からいえば完璧な登山であったが、小さな失敗、甘い判断等、反省すべき点も多かった。
予想外に天気がよく、ずいぶん楽をさせてもらった。2年前の正月に白馬の単独行に成功した時は、条件がよすぎたことに対し不満を書いたが、今回は憧れの地に到達した歓びを素直に感じることができた。
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