比良全山縦走
藤本 勇
1966年の夏、大阪府立高津高校山岳部のOBだけで、炎天下の下で建築資材をボッカし、比良の武奈ヶ岳の山腹に山小屋を建設以来、何百回と比良を訪ねた。武奈ヶ岳の周辺は自分の庭の様に熟知しているが、それ以外の山については、まるで素人同然である。一度は登山地図の端から端までを歩くのが永年の夢であった。今年で5年連続のスイス・アルプスに挑む小笹君らと一緒に全山縦走を試みた。
普通、比良全山縦走をリトル比良―釈迦―蓬莱―権現のルートを言う人もいるが、私は南部の権現・蓬莱から比良山系の最高峰の武奈ヶ岳を経由して北部の蛇谷ヶ峰までの稜線を比良全山縦走と呼びたい。
期間 2001年7月14日〜15日
メンバー 小笹 孝、佐々木惣四郎、山田裕敏、藤村達夫、藤本 勇
記録
7月14日 平登山口(8:05)―花折れ峠への分岐点(8:15)―アラキ峠(8:40-8:45)―権現山
(9:15-9:20)―ホッケ山(9:45-9:50)―小女郎峠(10:10-10:30)(池まで往復10分)―蓬莱山(10:50)―笹平(昼食)(11:00-11:50)―木戸峠(12:00)―比良岳(12:40-12:45)―葛川越(12:55)―烏谷山(13:15)―荒川峠(13:35)―南比良峠(13:50)―金糞峠(14:20-14:30)―八雲ヶ原(15:00-15:15)―高津山荘(15:35)
JR大阪駅の初発の京都行きの快速電車に乗車。京都で湖西線に乗り換え堅田駅下車。駅前のコンビニで弁当や飲み水を購入。タクシーで登山口の平まで4550円。
昔、若狭の鯖を京の都へ運んでいた頃は花折れ峠も人の行き来で栄えたことと思うが、今は立派なトンネルが出来て訪れる人もいない。杉林の中を登る。気温が高いので見てる間にシャツやタオルは汗でグジョグショになる。道が笹に覆われたなかにアラキ峠があった。権現山(996m)への登りも苦にならず快適に進む。先頭を行く藤村君は今年の2月に雪山で半月板を損傷して、リハビリのために同行してくれたが、昨年の夏にマッターホルンを登っただけに登りのスピードは速い。権現山の頂上からは琵琶湖、比叡山、そして京都方面が見えるとの事だったが、あいにくのガスで展望悪し。権現から蓬莱・打見までは笹に覆われた山道を歩く。展望が良ければ快適だろう。ホッケ山の周辺から小女郎池にかけては静かな山であった。悲哀の伝説を伝える小女郎池。池の面に対岸の山が逆さまになって写っていた。
比良山系南部で一番高い蓬莱山(1174m)は昔、サンケイバレイと言われた時代にスキーに来たくらいで思い出はあまりない。蓬莱山への登りも大したことはなく、知らない間に着いたという感じであった。スキー場に来ると登山道が何処にあるのか分からず、スキー場を下って打見山との中間点にある笹平、まるで遊園地のような場所で昼食をとる。
膝の痛む藤村君は打見からはロープウェイで下山する。我々は打見山からはクロトノハゲを経由するルートを避けて、スキー場の中をキャンプ場めがけて下る。立派な炊飯場が出来ていた。木戸峠まで来ると静かな山の領域となる。
木戸峠には地蔵が祭られていた。今までの展望は望めないが、ここからは樹林帯の山道である。知らぬ間に比良岳につく。比良山系にあって比良の名前がついた山であるが、道標だけがある山頂だった。ここから、すぐに葛川越だった。別名、大物峠ともいう。昔、琵琶湖の大物の部落から白滝谷を荷馬車が通ったというが、そのような面影の無い殺風景な峠であった。
烏谷山(カラト山)を通過する頃より、夕立に会う。暑さで2リットルのボトルの水が見てる間に減っていく。堂満岳の山腹を巻いて金糞峠にでる。峠には中学生の団体がいた。打見山より初めての登山者。ここからは北比良峠への道を進まずに、奥の深谷の源流へ下って八雲ヶ原にでる。このあたりは自分の庭のように勝手知ったる場所で、イワナを釣りによく来たものだ。八雲ヶ原は、さすが夏山でキャンプを張っている人たちで賑わっていた。
今夜の宿泊地である高津山荘までは、もうすぐだ。山荘は昨年の薪の荷揚げ以来である。予定より1時間以上も早く着いた。登山地図のコースタイムの7割くらいでの歩行であった。全身、汗と雨で衣類はグショグショに濡れている。小屋のストーブを焚いて乾かす。
7月15日 高津山荘(5:50)−イブルキノコバ(5:55)―武奈ヶ岳(6:30-6:40)―細川越(7:00)―釣瓶岳(7:20-7:25)―地蔵山(8:15-8:25)―ヨコタニ峠(8:50)―アラ谷峠(9:05)―ボボブタ峠(9:15)―蛇谷ヶ峰(10:00-10:40)―(カツラの谷)―ふれあいの里(12:05)―てんくう温泉(12:25)
今日も天気が良さそうなので、早朝出発して涼しい間に縦走してしまおうとの意見で小屋を6時前にでる。一般ルートを経て武奈ヶ岳(1214m)へ。早朝なのに山頂には一組の登山者がいた。恐らくは昨夜、八雲でキャンプしていた人達だろう。山頂よりは天気がもうひとつなので展望がきかない。武奈の北稜は何時も通り歩きづらい。釣瓶岳までは何度も歩いた道。釣瓶よりの北方稜線は未知の領域である。果たして、どんな山道が続くのだろうか。踏み跡はしっかりしているかな。
釣瓶岳より蛇谷ヶ峰までの稜線は本当に静かな樹林帯の山道であった。ウグイスの鳴き声が「ホーホケキョ。ケキョケキョケキョ」とひびき、疲れを癒してくれた。ルート図では釣瓶より地蔵山まで1時間30分と記載されているが、私達は50分で歩く。途中、リトル比良やガリバー村を見る。栃生への道標があったが、ルート図には、そのようなコースはない。ヨコタニ峠からアラ谷峠までは低山の趣のあるところ。畑から登ってきた登山者と出くわす。
ボボブタ峠という所を通過したが、ボボブタとは一体どんな意味があるのだろう。
蛇谷ヶ峰への最後の登りは、すこししんどかった。山頂には一人の登山者がいた。登山者は朽木村から登って来るので、私達のように南から縦走するような登山者は少ないだろう。頂上で大休止してから下山する。ふれあいの里に下るのに二つのルートがある。一つは尾根筋、一つは谷筋。私は谷筋を通った。途中に「カツラの木」が谷筋に生えたところがあった。「てんくう温泉」は一階が子供用のプール、二階が温泉になっている。露天風呂はない。入浴料600円なり。近郊近在から自家用車で大勢の人が来る温泉場で大変賑わっていた。ゆっくり全山縦走の喜びに浸る余裕などなかった。
JR安曇川駅まではバスに乗る。720円。
追記
比良山系の全山縦走路は道も整備されていて、安心して登山が出来る。六甲のように山頂近くになれば車の音がするようなところでなく、比良の山は奥深く、静かな山旅ができる。主稜線には殆ど水場がなく、夏場には十分な飲料水を用意しておくこと。高津山荘を利用できない場合はイブルキノコバの近くの「望武小屋」を中継点として利用したら良いだろう。今回のコースは少し無理をすれば一日で走破することも可能だ。
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