白馬岳主稜登山 1999年4月
兵頭 渉(1973年卒)
暮れゆく白馬岳
メンバー 藤本(64) 小笹(62) 上堂(51) 苑樹(59) 上田(58) 藤村(55) 大島(52) 兵頭(51) 若林(20) 年齢順
4月23日 (金)
全員、駒ヶ根のヒュッテ雪線に集合。
4月24日 (土)
8時すぎに全員起きだし、大鍋でラーメンを作り朝食。6人用、5人用、3人用テント各張り、ザイル40mX3本、スノーバー3本、スノースコップ1を持参し、10時前にヒュッテを出発する。
大町の国道沿いのスーパーにて食糧調達。白馬駅前で昼食を取り県道終点二股に13時半到着。車は二股まで。猿倉までの林道が開放されるのは5月1日からとのこと。駐車場には5台程駐車しているだけで連休前の静けさ。
猿倉までは除雪された舗装道路を、お役所仕事、ことなかれ主義を呪いつつ小雨の中を進む。猿倉山荘からは完全な雪道、うっすらと残るトレースに今日の入山者は我々だけかなと思う。
途中、白馬尻とガスの切れた主稜下部を望み、明日の取り付き場所を皆でワイワイいいつつ確認する。
16時半白馬尻のテントサイト着。夕食、寝酒をすませ明朝3時半起床、5時出発を約し20時には各テント就寝。
白馬尻のテントサイト
4月25日 (日)
3人1組、3組がトップを交代しながら登ることとし、霧雨の中5時過ぎにはテントサイトを後にする。
主稜末端から見上げると、眼前に広がる雪面には、あちこちに亀裂が入り直登しにくそうなので、雪面右よりを直上し、大きな雪のクラックを越えた所にできた雪棚で1ピッチ目の休憩。八方尾根兎平のスキーロッジ、岩岳のスキー場などガスが晴れて見渡せる。ただ主稜上部は未だガスに包まれている。
八峰へ登り始めると3人パーティーが下山してきた。尋ねると昨夜八峰でテント泊、天気が思わしくないので下山するとのこと。また八峰直下の台地では中年のパーティーがテント撤収の作業中であった。同じく天気が悪いので下山するする。昨日来、ここより上部へ登ったパーティーはいないようだ。頂上直下の雪屁は残っているだろうか。
八峰への登り
急な雪面を100mほど登り、八峰から伸びた稜線にでる。小さな氷柱を足かがりに小さなピナクルを越えると、ブッシュと雪のザラザラした露出地面の混在したリッジ。その後の急雪面の取り付きは雪がグサグサで氷化した踏み跡にゆっくりと足をのせて体重を持ち上げる。登りきった地点でサブエッセン。気温の上昇や降り続く霧雨で腐った雪が、ちょっとした切っかけで小さな雪崩となり、白馬沢、大雪渓めがけて落ちて行く。ドン、シャー、ザァーと耳に届く音は近くの雪が崩れたのかと一瞬緊張する。休憩中に後続の3人の学生が挨拶を交わしてトップを交代する。
稜線上には露出灌木は無くなり、雪だけで構成されたリッジをトレース沿いに進む。流れるガスで先が見えず、現在地点が確認できない。今日中に登り切れるだろうか?エスケープ・ルートに使えそうな沢筋、雪洞の掘れそうな雪棚を探しながら進む。しばらくして先行パーティーとトップを交代。
時々ガスが切れて白馬大池方面、国境稜線が見えだす。気温は上昇を続けており主稜から大雪渓、白馬沢に向けて小さな雪崩が絶え間なく落ちている。小さなコブをいくつか超え進むうちに、突然、日が射し、仰ぐと主峰、頂上直下雪壁、2峰が見える。
稜線直下より仰ぎ見る
今日の雪屁破りは我がパーティーで。足取りも軽くなり、2峰の登りも雪壁を直登する。ザイルをフィックスし、全員頂上直下の雪壁に集合。雪屁は発達しておらず、ルートは目前の露岩下部を右に5mトラバースし、あとは真っ直ぐに60mと計算する。ここでトップは現役の若林君に交代し、ビレイは上田さん。右だ左だと先輩諸氏の話に耳を傾けるトップに自分の判断で登るように指示。
30m付近でスノーバーを打ち込みランニング・ヒレイ。下から見ると雪の状態が悪そうなので、兵頭が途中でビレイすべくスノーバー地点まで登りビレイする。60度を超える傾斜の雪面の先に若林君の姿が隠れ、まもなく登攀完了のコールが届く。次々とメンバーが頂上に着く。みな嬉しそうだ。ラストの小笹さんがザイルを回収しながら登ってくる。
コールが届きにくく、雪壁の端まで寄って小笹さんと若林君のコールの中継。ザイルアップ>アップー、チョイダウン>チョイダウン・・・
「皆さーん、もう少し静かに、コールサインがきこえない」などと怒鳴りながら9人目登頂。バンザイ、おめでとう。
テントを出てから約11時間。霧雨も止み、薄日の射す山頂でワイン、オレンジ、紅茶で全員登頂と今日が58歳の誕生日を迎えられた上田さんに乾杯を捧げる。
下りは大雪渓を下る。左右の沢からの雪崩も日が陰ってから落ちてこず、膝まで潜るグサグサの雪渓を各自のペースで進む。
白馬尻のテントサイトで休む間もなくテントを撤収する。暗闇広がる雪道を雪明かりを頼りに猿倉へと急ぐ。日もとっぷりと暮れた19時過ぎに猿倉に着く。白馬から大町へ向かう道路沿いのファミレスで夕食。改めて全員の無事と、計画完遂を祝う。ヒュッテ雪線に着いたのは24時を廻っていた。
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