2003年夏山合宿を終わって(涸沢にて)
佐々木惣四郎

 ひさかた振りの新人を迎えての夏山合宿であり張り切っていたら、佐々木が出発前に突然の腰痛に襲われて縦走に参加できなかった。何とか一か八かで合宿に参加したが、うまい具合に腰痛が悪化せず日程をこなす事ができた。現役4人の頑張りによるものであるがOB3人の参加で何とか意義ある形にできたものであり、若干の反省と今後のあり方を含め報告致したく。
<メンバー> CL 佐々木惣四郎(OB)
         SL  小椋 剛,  木野 英史 ,澤 真平、江崎 香野子
           山田 裕敏(OB)、 藤村 達夫(OB)

涸沢テント場にOGの訪問を受ける

涸沢のテント場に苑樹夫人ら女性軍の訪問を受ける

<日程>
8月18日
 大阪難波OCAT 21:00 信州さわやか号にて出発。江崎さん京都より乗車。
8月19日
 6:00上高地着6:45出発―横尾(9:30−10:00)−涸沢14:15
 霧雨が降る中、入山のボッカを始めた。団体装備、食料は一人平均10−12Kであったが、小椋君の個人装備がとてつもなく多く、ザックの調子が良くない事もあり、徳沢でバテ、山田、澤にてサポート。屏風のカベも雨で見えず黙々と涸沢に向かった。なお、縦走用食料10Kを横尾小屋にデポした。
入山は今回のキーポイントであったが、結果として、苦しいボッカにかかわらず全員良く頑張り、雨模様の中テント場に辿り着いた。
8月20日
 6:45北穂東綾へ出発―最低コル9:40−北穂(11:30−12:15)−テント14:00
 絶好の天気の中、全員とOB岡本さんの8名にて東綾へ。取り付きが心配であったが、案の丈最低コルへでる際のルンゼに意外とてこずった。カンペではルンゼ左がのっていたが、小石で落石が恐く、右側の岩尾根を辿った。
コルからは藤村、岡本、江崎のグループがゴジラの背をパスしてゆきあとの5人は忠実に背をいったが、スリルのあるところは僅かばかりであった。やはり、コルにでるのが最大の難関であった。
8月21日
 3:30起床―出発スタンドバイ5;00−沈殿
 北尾根にゆくべく準備終えるも雨が降り止まず沈殿。8時ごろより現役がトランプを始め、延々7−8hしていた。スコア表を撤収時に見たら64回もゲームをしており、考えられない事態に仰天さされた。
 沈殿で個人装備がイロイロだされたが全く多様な装備がだされ、これまたビックリ。
 つまり、個人装備が普通に比して2−3K強は多い感じ。
8月22日
 3:30起床―5:15出発―5,6コル7:00―前穂11:15−奥穂13:50−テント16;00
 再度天気に恵まれコルに四パーテイのうち第3パーテイでついたが3峰の登りでは第一パーテイで出発。トラバースせずそのまま綾に沿って登るもチョックストーンでさえぎられ左に逃げてテラスに着く。このあと4人がザイルをつないで登ハン。2ピッチ目もチムニーのチョックストーンを苦心して突破して、3ピッチ目は通常のジェードルで3峰にたてた。
 2峰の下りは念の為、懸垂ザイルをはったが、山田、木野、澤の別れたパーテイがなかなか来ず30分近く待ってやっと顔をだした。途中で道を間違えたらしい。当初は 佐々木、小椋、澤が1パーテイであった。
 前穂から奥穂の間では藤村、江崎のパーテイが迎えにきていて合流。7人で奥穂頂上からザイテンを下った。OB隊がすでに着いていると思ったが、小1時間後に着き、牛丼の材料ほかイロイロの差し入れを受け取り、豪勢な牛丼にありつけた。OB隊様 有難う!
8月23日
 6:30出発―奥穂小屋(8:45−9:00)―9:30涸沢岳―北穂11;00−12;30)−14:30テント
 涸沢岳に着いたら飛騨側よりの風強く、ヤッケをきて稜線を行く。やはり縦走ルートとしては油断のならない岩綾で一般素人と思われる人達が多くいて、ヨクヤルナーと感じさされた。天気がもっと悪化したら事故になるようなルートである。山田、藤村OBは朝下山。
8月24日
 6:15撤収出発―横尾(9:00―9:30)−上高地12:30
 横尾小屋にデポしていた縦走用食料を受け取り、単独縦走にでる小椋君用の食料をセットし、9:30 別れる。上高地までの平坦な道では腰に重みがかかり足がでず、現役に先にゆかれてしまった。現役のこの道での元気さはみごとであり、江崎女史の足の軽さは抜群で、これまたビックリさされた。撮影班の木野君 ご苦労さんでした。
<反省点>
1. 個人装備が重すぎた。もっと軽量化を計るべき。
2. OBがテント生活を手伝い過ぎた。食事の後始末が悪かった。
3. ザイルパーテイが途中で変わってしまった。原因はザイル操作の不慣れと思われる。
        
  今回は 山田OBの参加があって、ようやくできた合宿で、更に天気に恵まれ、次の目標へのステップにつながったと思います。 

新人さんと佐々木リーダー  

佐々木リーダーのもと元気な新人さん


合宿を終えて     現役感想


小椋 剛
体力の不足を感じました。
多すぎたとはいえあれくらいの荷物は運べるようになりたい。
あと山を眺めてたら、道の無い所を通って山頂へ登りたくなった。

江崎 香野子
今回は初めての合宿だったので、楽しみ半分、不安も半分といった感じだった。
そして、実際に始まると、あっという間に終わってしまった気がした。
今まで曇りの登山が多かった分、今回の山の上での絶景が特に印象的だった。
もっとちゃんとトレーニングをして、早く来年の合宿に行きたいと思う。

澤 真平
なんとか無事に帰ってくることができました。
今回は北穂東綾や北尾根でクライミングをするはめになり、室内の経験はあったのですが野外での経験はほとんどなかったので、かなり緊張しました。というよりぶっちゃけ死ぬかと思いました。
もう高所恐怖症がどうのという問題ではありません。高いんです。もはや真下に見える木なんざ点です。もう必死、揺れる岩なんか触っちゃった時には冷や汗ものです。死んだらどこに行くのかなぁ...とか真剣に考えちゃいました。
それでも雷鳥親子など下界では味わえないものをたくさん見ることができました。こんなすばらしい世界にまた行きたいと思います。(これ以上のものはご遠慮願いたいですが)

木野 英史
毎回、合宿に行くまではあんまり乗り気じゃなくて、合宿中になると山登りがしんどくて、「何で山岳部に入ったんやろ?辞めたいなあ。」と思いつつ、山頂に着くと気分爽快で、結局合宿が終わる頃には楽しかったなあという気分だけ残っている。
多分この気分はこれから参加するであろう合宿でも同じなんだと思う。結局、大学を卒業する頃には楽しい思い出ばかり残るような気もする。
今回の合宿は現役部員4人参加という事もあり、これからの市大山岳部にとってとても期待の持てそうな合宿だった。
特に江崎さんの活躍ぶりには目を見張るものがあり、「姉御〜!」と呼びたくなるぐらいでした。

今日も元気だ!

さあ!今日も元気に穂高の稜線を歩くぞ。

炊事当番?の江崎さん  平成の加藤文太郎?

左は愉快に炊事する江崎さん。右は単独行で山を歩いた小椋主将。


2003年 夏の縦走(単独行の記録)
現役   小椋 剛

<笠ケ岳―烏帽子>   9/6−9/10
九月六日から十日の山行は北アルプスの笠が岳、鷲羽、水晶、野口五郎、烏帽子と縦走しました。初めの日は途中雨に降られて気分は,余り乗ってきませんでしたが、わさび平についたときにはきれいなお月様が出てきました。
二日目は快晴でしたが笠新道はきつく、すっかりペースを乱してばててしまった。昼ごろから槍穂高方面が雲に覆われ、夜はテント場もすっかり雲の中で明日の天気が心配になった。
三日目は雨は降らなかったものの、真っ白で何も見えず道も単調、早くテントに入りたかった。一応三又蓮華には登った。
四日目は、昨日夕焼けの鷲羽が見れただけあってすっかりよい天気で、鷲羽、水晶の大展望を楽しんで、ブロッケン現象もはじめてみて、最後は烏帽子まで行った。月と遠雷がきれいな夜だったが、何でも火星と月が大接近していたらしい。最後の日は天気が崩れか
かっていて、高瀬ダムに降りたときには強い雨が降ってきた。タクシーは幸い相乗りができて、大町市で風呂に入ってから電車で駒ヶ根へ行き、さらに雪線へ向かったがやっぱり迷い、やっと着くと、藤本さん一家が来ていて腹いっぱいご馳走になった。

<塩見―農鳥―北岳―甲斐駒−千丈>  9/13−9/18
九月十三日から十八日は南アルプスを縦走、塩見、農鳥、間ノ岳、北岳、甲斐駒、千丈岳と行きました。はじめの二日間は学長、八木さん、佐々木さんをはじめとする近山会のかたがたと三伏峠で一泊して塩見岳までのぼった。
雪線をでたときはひどい雨でしたが、登山口についたときはよい天気になっていて、みんなで一緒に楽しく登りました。山頂で全員そろって一時間くらいしゃべったり飲んだりした後、たくさんの昼ごはんや餞別をもっらてみんなと別れ、一人で熊の平まで歩いた。
塩見岳ではくもってなにも見えませんでしたがその後晴れて、塩見岳がよくみえました。十五日は農鳥岳を空身で往復しそれから間の岳を超え北岳山荘まで行きました。朝寒く霜柱がたっていました。山荘は水一リットル百円と安く、トイレは水洗で、人が入るとセンサーによって自動的に電気がつく建設に一千万円かかった立派な物でした。
十六日はまず空身で北岳登りました。いい天気で、かなたには槍穂高連峰も見えました。ここからの下りは実に嫌で、やたらに長く何回もこけて休んでばかりいて一人でよっかたと思いました。ただ単独で大荷物を運んでの登っていく女の子とすれ違ったときだけ元気が出ました。十二時ごろ登山口に着き十二時半ごろのバスに乗り北沢峠に行き、北沢長英小屋の前にテントを張って後をずっとねっころっがていました。夕方ぱらぱらと来て、明け方は放射冷却で寒く、目が覚めてしまいました。
十六日は空身で甲斐駒ケ岳へ。遠くから見ても美しい山だったのと、空身という事で登るのが楽しかった。下るとき頂上直下で踏み跡を間違えてしばらくうろうろ。昼ごろ戻って後は昼寝してそのまま夜寝、なぜか暖かい夜でよく眠れた。
十七日は空身で仙丈ケ岳へ。この日も快晴で甲斐駒、鋸岳、鳳凰三山、そしてこれから登っていく稜線を見上げるのも楽しかった。頂上で熊鷹を見たけどフイルムが切れていて写せなかった。下りてすぐテントをたたみ、北沢峠〜高遠、高遠〜伊那北駅までバス、伊那北駅〜駒ヶ根まで電車で行きそこから雪線まで歩いた。鋸岳に登れなかったのが少し残念でした。

<中央アルプス>  9/22−9/23
九月二十二日と二十三日は雪線から中央アルプスを縦断しました。明け方雨が降ってましたがじきに止み、やがてよい天気となり木々の間から南アルプスや伊那谷がよく見えました。
一時半ごろに空木 避難小屋に着いたのですが、余りきれいでなかったし、先客もいたので空木に登ってさらに歩いて、結局南駒ケ岳近くの摺鉢窪非難小屋で泊りました。とても景色がよいところで伊那谷のささやかな夜景が見れて、小屋には毛布も置いてあってぐっすり寝られました。
次の日はまず南駒ケ岳に昇ってそこから倉本駅まで下山しました。天気がとてもよくて恵那山、南木曽岳、御岳など昨日見えなかった木曽谷のほうの山もよく見え、ブロッケン現象をまた見ました。道が後半悪くなってきて、笹の葉を踏んだときついうっかり滑って斜面を五メートルほど滑り落ちたり、また人通りが少ないらしく、くもの巣が体にやたらと掛かり、そして駅までもう少しのところで登山道が崩壊していて、林道を六キロほど歩かされたりしました。五時近くに降りるとすぐ電車が着てそのまま名古屋へ。

<大峰縦走>   9/26−10/1
九月二十六日から十月一日は憧れだった大峰縦走へ。またもや出発の朝、雨が降りそうな空でしたが夕方にはすっかり晴れそのまま最後まで晴れっぱなしでした。
第一日目は天川川合から狼平まで。栃尾辻あたりから急に青空になった。狼平の小屋はとてもきれいだったのですが、なぜか黒い巨大な蛾が二、三百匹もいて、夜暴れだされないか心配でしたが何事も起こりませんでした。
二日目は弥山から天狗岳まで。弥山頂上付近の草や木が、台高の山並みが、朝日に照らされて輝き、それらの山々に今すぐにでも行きたくなりました。原生林であるためか日当たりがよくてとても気持ちがよく、吹き抜ける風もなんだかいいものの様に感じました。      
孔雀岳辺りで会ったおじさんが山渓の読者で、僕が書いた文章を読んでいて、またこの人は水場様子やテントのはれそうな場所を教えてくれました。釈迦が岳はやたらと人が多くて少々うるさかったが、この先はほとんど人に会わずにすみました。そこからまた歩いて天狗岳頂上のすぐ下でテントを張りましたが、日本アルプスのテント場と違ってとても開放感があってウキウキしてきました。
このあとも、笠捨山、大森山、七越峰の公園とテントを張りましたがとても楽しい経験でした。ただ山が低くなるにつれ、薄暗い杉林の中を道が通るようになり、なんだか陰気な気分になってきました。道は最近また整備したのか、笹の切り倒されたような形跡があちこちにあるようないい道でした。山から下りて、バスから景色を見ると彼岸花があちこちに咲いていて、金木犀もどこかかともなく匂ってきて秋をすっかり感じられました。今回の個人山行の中ではこの大峰縦走が一番楽しく、一番思い出深いものとなりました。
HOME
Copyright 2007 Osaka City University Alpine Club. Allrights reserved.