山荘完成までの道のりは長かった 久保田淳三(1961年卒) 別荘地の大沼池より宝剣岳を望む 「山岳会に自前の小屋がほしい」これは山岳会員全員の夢であり一致するところだろう。 確かに一部会員からは自前の小屋はOBたちのサロンと化すだろうとの反対意見もあったが、大半の方は賛成して頂いた。それでも、一時期、山岳会としては中止するところまでいき、有志だけで作ろうということになった。そうなると会の中に会を作ることになり、最終的には山岳会あげて作ることに決まった。
基礎工事が始まる 棟が上がる 土地面積874u、角地で少々傾斜地だが、日当たりもよく、遠く南アルプスを望み、閑静でねずみ川のせせらぎの音を聞きながら眠るには、打ってつけの土地であった。価格も他物件に比べて割安で400万円弱(借地権/光前寺の寺領地で駒ヶ根市が委託管理)と申し分のないものだった。中央高速、駒ヶ根インターより車で5分、あっという間に山の中の風景に変わる。山荘を利用してくれる会員の方の口から、必ずと言っていいほどに「こんなに素晴らしい所とは思ってもいなかった。また是非来たいよ」と褒めて貰えるのは嬉しいし、建てて良かったと、しみじみ思う。 今から思えば山小屋建設に熱心な会員の皆さんと数度にわたり現地を訪れたのが懐かしい。あのときは情熱が最高に高まっていたような気がする。今なら果たして出来ただろうか。
完成間近いヒュッテ雪線 最後に山荘完成には池永会長のご援助があって、初めて出来ましたこと厚く御礼申し上げますと共に、この山荘が何十年と存在価値が認められることを願ってやみません。現地建設には上堂氏、苑樹氏、大島氏が、資金集めには佐々木氏のご尽力があったことを付記します。 |
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