山荘完成までの道のりは長かった

久保田淳三(1961年卒)

大沼池

別荘地の大沼池より宝剣岳を望む

 「山岳会に自前の小屋がほしい」これは山岳会員全員の夢であり一致するところだろう。
 これまでは比良の高津小屋(大阪府立高津高校山岳部の小屋)が、その役目を果たしてくれていたが、所詮、他人の小屋だし、関西の会員には重宝でも東京をはじめ地方の在住者には不便であった。
 現役時代、誰もがお世話になった母なる大地、アルピニストの故郷、北、南アルプス、中央アルプスはすべて信州だが、その山懐に誰もが遠慮せず、長居できる小屋がほしいとの声は、あちこちから沸々として出てき、だんだんと大きくなった。今から5年前の1995年であった。
 確かに一部会員からは自前の小屋はOBたちのサロンと化すだろうとの反対意見もあったが、大半の方は賛成して頂いた。それでも、一時期、山岳会としては中止するところまでいき、有志だけで作ろうということになった。そうなると会の中に会を作ることになり、最終的には山岳会あげて作ることに決まった。
 それなら何処に作るか?大阪、東京から時間的に、また交通の便からも最適地はどこか?
集約していくと中央アルプス駒ヶ根地区に白羽の矢が立てられた。名古屋にいる久保田が一番近いから探してくれと指令(?)が飛んできた。大変な大役だが仕事柄不動産や建築には少々詳しいこともあったので、あたるだけあたって見るか……。

基礎工事 棟上げ

              基礎工事が始まる           棟が上がる

 土地面積874u、角地で少々傾斜地だが、日当たりもよく、遠く南アルプスを望み、閑静でねずみ川のせせらぎの音を聞きながら眠るには、打ってつけの土地であった。価格も他物件に比べて割安で400万円弱(借地権/光前寺の寺領地で駒ヶ根市が委託管理)と申し分のないものだった。中央高速、駒ヶ根インターより車で5分、あっという間に山の中の風景に変わる。山荘を利用してくれる会員の方の口から、必ずと言っていいほどに「こんなに素晴らしい所とは思ってもいなかった。また是非来たいよ」と褒めて貰えるのは嬉しいし、建てて良かったと、しみじみ思う。
 今から思えば山小屋建設に熱心な会員の皆さんと数度にわたり現地を訪れたのが懐かしい。あのときは情熱が最高に高まっていたような気がする。今なら果たして出来ただろうか。
 建設資金の募金に、建築詳細の打ち合わせ、備品など、1995年から1997年まで、仕事の合間を縫って現地に足を運び、労力を惜しまなかった会員諸氏、3度にわたる外壁塗装工事に勤労奉仕いただいた皆さん…。このようにご協力頂いた方々の熱い情熱があればこそ山荘が出来たと思う。
 大阪市立大学山岳部の部報の表題が「雪線」であるので、山荘の名称を「ヒュッテ雪線」と名付け、玄関に飾ってある「雪線」の題字は恒藤恭元学長の筆跡を使った。昨年来、山荘利用者は逐次、増加の一途をたどり、週末は必ずといって良いほどに、誰かがヒュッテライフを楽しんでいる。

完成間近い  

完成間近いヒュッテ雪線

 最後に山荘完成には池永会長のご援助があって、初めて出来ましたこと厚く御礼申し上げますと共に、この山荘が何十年と存在価値が認められることを願ってやみません。現地建設には上堂氏、苑樹氏、大島氏が、資金集めには佐々木氏のご尽力があったことを付記します。
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