2005年ニュ−ジーランドの山旅
ワイカレモアナ湖とラキウラ
藤本 勇

 2000年1月から2月にかけて1ヶ月の間、ニュージーランドを訪れたのが始めてであった。それ以来毎年のように訪問している。今回で5度目のニュージーランドである。最近は2ヶ月から3ヶ月の滞在がほとんどである。広い清潔なキッチン、たくさんの鍋、調理器具、食器類が備わっているYHA(ユース・ホステル)は我々自炊組にとっては、まことに有難い宿である。おまけに安い。醤油、かつおなどがあれば近くのスーパーで食材やビール、ワインを求めノンオイルのあきのこない食生活を続けられる。
 ニュージランド政府のDOC(Department of Conservion、さしずめ日本の環境省)が推奨しているトラックはグレートワォークと名づけてニュージランド全土で9つほどある。有名なのは「世界で一番美しい散歩道」と云われているミルフォード・トラック。山岳コースとしても人気のあるルートバン・トラック。老若男女で賑やかなエーベル・タスマン・トラックなど。これらのトラックを寝袋と食料を担いで歩いたので、今年は新しく人気のない静かなトラックを歩いてみたかった。
ワイカレモアナ湖(Lake Waikaremoana)
 北島ではここともう一つのトンガリロ・クロッシングがあるが、現地の人もあまり口にしないワイカレモアナの湖の4分の3周を5日ほどかけて歩いた。場所は北島のネイピアとギズボンの間にあるワイロアという小さな町から車で1時間の距離に湖はある。
1月11日
 ネイピアの町のスーパーで山の食料を買って、バスの時間が昼過ぎだったのでユースの冷蔵庫に保存して、ネットカッフェでメールも見に行く。バスは首都のウェリントンからきた。乗る人は殆どマオリ(ニュージーランドの先住民)の人だった。やはり、このあたりはマオリの土地が多いのかもしれない。
 バスが出発して、すぐに光子は『パパ。食料はどこ?』と聞く。
 ユースの冷蔵庫から持ち出すのを忘れた。光子は一瞬シマッタと思ったが、外面的には平静を保っている。これから先の山旅が一体どうなるか不安な影がよぎったが、クヨクヨしても始まらない。ワイロアの町はこじんまりした町。バス停の近くにスーパーの看板を見つけて再度食料を買いに行く。ホットする。ヤレヤレ!
 私達の送迎をしてくれる車がバス停に迎えに来てくれていた。ワイロアからの道は途中、未舗装の地道だった。ワイカレモアナ・モーターキャンプ場は湖のほとりにあり。家族づれで賑わっていた。受付のオバチャンは私達の年寄り姿をみて『5日間のトラピングを本当にするの?』というような目で見ていた。

ワイカレモアナのルート図

1月12日 (快晴)
 キャンプ場の事務所で天気予報を見ると、今週はすべて晴れマーク。高気圧にニュージーランド全土がおおわれて、やっと夏が来たようだ。
 送迎は車でトラックの入り口まで運んでくれるものと思っていたら、事務所の前のボート乗り場に連れて行かれた。そこには一艘のボートがあり、それに乗せられた。15分でトラックの入り口に着く。
 9時半に歩き出す。最初はゆるい坂道を登るが途中から急坂になった。何ヶ所からの展望ポイントから湖が見渡せ素晴らしい眺めだ。一日中、快晴のもとを、ただひたすら登る。5日間の二人分の食料や燃料を担ぐとほど20キロちかい荷物となった。70歳で日ごろトレーニングをしていない体では重労働だった。途中で水筒のセンが甘くなって、お茶がリュックの中へ。
 今夜の宿のPanekiri小屋には4時ころに着いた。実働6時間半。小屋は尾根筋にあり、尾根のなかでも最も高い場所にあった。

ワイカレモアナ湖  パネキリ山

左はワイカレモアナ湖。右はパネキリの山。

1月13日(快晴)
 朝早く下山するパーティあり。私達はゆっくりして9時に出発。尾根筋を下る。小屋の周辺はブナの森、その森が下の湖まで続く。ブナの林の中を微風が吹き、野鳥がさえずり森林浴をしながら歩いている時が至福の時である。
 オークランドから来た9人づれが前を行ったり、後になったりしている。ニュージーランド政府の自然への配慮は、自然の道は出来るだけそのままにして、オレンジ色の三角形(プラスチック製)の道標を20米くらいの間隔に樹木にクギで打ってある。
 Waiopaoa小屋には2時すぎに着いた。この小屋は昨日の小屋よりも小さく湖の近くに建っていた。夕方、ボートでDOCの職員がきて小屋券のチェックをする。8時ころに着くパーティもあり小屋はほほ満員。オポッサム(イタチの一種)が出て来て人々を驚かした。

1月14日(快晴)
 今日も雲一つない青空だ。8時半に小屋を出る。
 Korokoroのテントサイトまでは1時間半ほどで歩く。たえず右手に湖を見ながら静かな森の中の道が続く。ミルフォードやルートバーンのような華やかさは無いが、自然がそのまま残っていて、私達には最高のトラックだ。
 Korokoroの分岐点に荷物をデポして滝を見に行く。往復1時間。ネパールで多くの滝を見た私達には滝は平凡だったが、途中はジャングルでブッシュワォークは素晴らしい。
 Marauitiへの道の途中にはマオリの人の土地があるのかして、DOCの道路標識がなく、2ヶ所ほどの地点で通行禁止のテープが張られていた。今でも先住民のマオリとニュージーランド政府との間で土地の紛争があるのが分かる。
 MarauitiにはDOCの基地があって、昨日小屋券を調べに来た夫妻が住んでいた。この場所にキャンプサイトがあり、少し山を登って下った所に可愛い小屋があった。昨日の小屋よりも立派で先客の男性が3名いた。小屋に着いたのが4時であった。時間があったのでパンツやシャツを洗濯する。

勇&光子  尾根筋を下る

左は同宿の人にシャッターを押してもらう。右は快適な尾根筋を下る。

人影もナシ  静かな湖畔の宿

人っ子一人の影もナシ。静かな湖畔の宿。

1月15日(快晴)
 今日は3時間ほどの行動なので、ゆっくり朝食をとる。光子は下りは少しヒザが痛むとかでユックリ歩く。小屋からすぐに可愛い吊り橋を渡る。
 今日は歩いている間、一人の人にも出会わずじまいだった。湖の岸辺で何度も休み、静かな湖畔には打ち寄せる波の音しか聞こえない。対岸に初日に登ったパネキリの山並みが見える。
 何度か入り江を横切ったあと、広い原っぱに着く。そこがWaiharuruだった。キャンプサイトの奥に小屋があった。最近、新築された立派な小屋でキッチン・食堂と泊まるところが別棟になっていた。ベッドの数が40.流しが7ヶあった。ただガスが無いだけで設備はルートバーンやミルフォードよりも良い。
 キャンプ・サイトを見に行くと、湖で水泳している子供達を見て、急に水に入りたくなり、私はパンツ1枚。光子は私のランニングシャツを着て湖にはいる。近くを大きなトラウトが泳いでいた。
 夜は漆黒の闇。仰げば星、星、星。星が降ってくるようだった。南十字星輝いていた。

ステキな小屋でした  気持ち良く泳ぐ光子

左は新装なったWaiharuru小屋。右は私のランニング・シャツを着て泳ぐ光子。

1月16日(快晴)
 最終日。12時のボートの出迎えに間に合うように6時半に小屋を出る。光子は、この快適な小屋に連泊したいと申している。
 今日も登山者の姿は見られなかった。最後の小屋Whangauniには1時間半ほどで着いた。宿泊者名簿を見ると、この小屋はトラックの入り口に近いのかして、あまり利用されていない。小屋も小さく炊事は屋外でやらねばならない。
 出迎えのボートが来てくれる場所には10時半には着いた。5日間のウォークは天候に恵まれ、人も少なくゆっくりできた。

スチュワート島

ラキウラ(Rakiura)
 ニュージーランドの南島の最南端に佐渡島の2倍ほどの島がある。人口たった400人。
3年ほど前に、このスチュワート島の9割ほどをラキウラ国立公園に制定されてから観光客も増加している。私達は5回ニュージーランドを訪問した中で4回も、この島を訪れニュージーランドの人達からも驚かれている。普通ニュージーランドを訪れると広大な牧草地に羊や牛がのんびりと草を食べている風景を想像するが、この島には牧草地はなく自然のままのブッシュが島を被っている。
 今年は2月8日から28日まで島に滞在する。ラキウラ・トラックをすべて歩くには10日ほどの食料を持参せねばならない。一般的には3日のコースを歩いてラキウラを歩いたと称している。私達も3日のコースを2度歩いている。野鳥の多いコースで人にも出会わない。今回、滞在中に『Coast to Coast』というパンフレットを見つけた。読んで見るとスチュワート島の東海岸へセスナ機で飛び半島を横断してボートで帰ってくる。一日、十分に楽しませてくれそうだ。日本では考えられない。
 朝、目が覚めると北の空に晴れ間がある。今日は光子は留守番。一人東海岸のMaison Bayに飛ぶ。ボート代も含めて155ドル。始めて島の飛行場に行く。管制塔も吹流しも何もない所。Maisonn Bay行きのセスナ機は操縦席、副操縦席の後ろに4人しか席はない。インバーカーゴから既に2人の客が乗っていた。
 30歳くらいの夫人と4歳くらいの男の子が一荷物を持ってセスナに乗り込む。私は副操縦席に座らされる。7時50分離陸。目の下は一面、樹海の世界。20分ほどでMaison Bayの砂浜に下りた。丁度、潮が引いた砂浜にヒコーキは見事に着陸。まるで不時着しているような気分になった。飛行時間は約20分。子連れの夫人は来週の月曜日に迎えのヒコーキが来るまで、ここでのんびりと暮らすそうだ。子供用の自転車まで積んできていた。ダンナが浜辺に迎えに来ていた。

不時着?  気持ち悪い海藻

左は潮の引いた浜辺に無事に着陸。右は日本では見かけない海藻。

 セスナが着いた浜辺から歩くこと3キロほどの地点に小さな沢があり、その沢をさかのぼって行ったらMasion Bay小屋に出た。小屋の中では朝食をとっているグループ、出発の用意をしている人達で賑わっていた。小屋を出て約1時間ほど歩くと右手に小山(Island Hill)があった。道はこのあたりより悪くなり、ドロ道が続く。登山者はロングスパッツをドロ除けに使っている。私の登山靴はオークランドに置いてきたので、フランス製のメフィストをはいて歩いた。ほとんど平地に近い道で時々霧のような雨が降ってくる。あたりは一面、草千里というかブッシュの大平原、道はしっかりしているが、道標は何一つない。
 Scott Burnという小さな沢が道の右手に出てくると雨で増水した沢の水が道にまで溢れ、道はまるで小さな小川となる。ヒザ下までの所の水は、まだ良いが時々股上まで濡れると冷たい。このような小川下りが延々と続く。DOCが作った木の桟道が水の中にかくれている。登山者の姿もなく道標も無かったので、果たしてこの道で良いのか、何度か地図とコンパスを出して方位を確かめる。このコースは運が良ければ昼間でもニュージーランドで絶滅の危機にあっているキウイに出合えるそうだ。今日は残念ながら道は増水し川となっていたので会うこともなかった。

ルートが分からない  木道

左は何処がルートかわからない所もあった。右は湿原に木道が作られていた。

 座る場所も無いので立ったまま、光子の作ってくれたオニギリを食べる。沢を横切る橋は新しく作られていた。ここから目的地までが長く1時間半ほどもかかった。今朝、Maison
Bay小屋を出てからランチに10分ほど立ち止まった以外は歩きづめであった。橋を渡ってからの道は小川からドロ道にと変った。その道をただひたすら歩き続けて「Freshwater 小屋5分」の看板を見てホットする。出迎えのボート地点には約束の2時に着いた。予約してあったボートには女性2人がザックを担いで到着したばかり。これから、あの小川の道を登りながらMaison Bayまで行くのは大変だろう。
 ボートは快適なエンジン音をたてながらオバーンの町へ。心地よい疲労感と充足感にひたりながら宿へと向う。

小川のような道

まるで小川のような道を下る。このような道がエンエンと続いた。

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