ヨーロッパアルプス「オートルート Houte Route」を歩く.

2006年5月

S40年卒 上田忠士

フランス、モンブランの麓からマッターホルンの麓までヨーロッパの屋根に延びる雲上のスキーツアーコースを歩くこれは私が北海道で山スキーを始めた時からの夢であった。

今年(2006年)4月このコースに挑戦した。

現地シャモニーのフランス人ガイドに案内され、山小屋泊まりを繰り返し,総勢6人のグループであったが,天候不良、メンバーの体力不足から途中カットし、完全踏破にはならなかった。しかしヨーロッパアルプスの奥深くに入り、アルプス山岳スキーの真髄を見た思いがした。

出発前日は足慣らしと時差、体調調整のためロープウエーでエギューデ ミヂー(3842m)まで上りバレーブランシュ、メールドグラス2氷河を快晴の中、針峰群に囲まれて、滑走したが楽しいものであった。今日の高度差2000m、距離15,16kmであったが急斜面あり、雪質も種々ありスキー技術のテストのようなものだっただろう。

翌4月9日、オートルートが始まる。フランスシャモニー近くのアルジェンチエールスキー場のキャビンに乗り、グラモンテ(3233m)からアルジェンチエール氷河への滑降から始まった。

オートルートは氷河をスキー板にシールを付けて登り、またスキー滑走を繰り返し、コルを越え山小屋6泊を経てスイスツエルマットに滑りこんだが、難所のシャルドネのコルは悪天候のため越えられず、またコース中最高所のピンダローラ(3796m)の頂上に立つこともできなかった。天候の悪化と強風,頂上手前の急斜面のトラバースはバリバリの雪の状態で通過を断念せざるをえなかった。ピッケルとアイゼンの世界であった。

ここを引き返し、昨夜泊まったヂス小屋を通過し、急な斜面とハシゴをスキー板を担いで登り、チャオレのコルを越えてアローラに滑りこんで、泊まりとなった。ここは予定にない泊まり場所で小さなスキー、登山基地になっているようだ。夕方から青空も見えて来たので、翌日ベルトールのコル(ベルトール小屋がある)に向かうことにした。

アローラの少し上流からシールをつけて登り始めるとモンコロンが正面に見え、ピンダローラのなだらかな頂上が美しい。久々の好天気のため歩いても気持ちがいい。何パーテイかに追い越される。彼ら西洋人の歩きは速い。左に大きく曲がり、高度感あるトラバースを終えると、ベルトールのコルが遠望された。

ここで小休止、今日の行程の半分といったところである。あとは氷河の中を緩斜面からコル直下の急斜面へとひたすら登る。高度差1300mの登り、約5時間でコルに着いた。われわれの目標地マッターホルンの上部が遠望される。コルの岩陰にスキー板をデポし、鎖の岩場、急なハシゴを登り、ベルトールの山小屋(3311m)に落着いた。建て替えられた新しい山小屋であるが、よくもこんな崖の上に建設したものと思う。ベルギー人と同じテーブルで食事、明日はツエルマットに滑るだけの最後の夜だと思うとなんとなくなごやかな雰囲気になる。満天の星が明日の天気を保証してくれている。

最終日(15日)の朝を迎えた。朝日を浴びて針峰がモルゲンロートにかがやいている。

薄暗い中、小屋を出発。危険な岩場を慎重に下る。スキーを装着し、コルから滑り始めた時は明るくなっており、この広い雪原にわれわれ6人だけだ。10分ぐらい滑り下りたところでシールを付け大雪原を東のマッターホルンに向け、ガイドの跡を付いて歩く。シュプールがわずかに残っている。ダン、デランの秀峰が輝いている。マッターホルンも少し大きくなってきた。

約2時間の緩やかな登りでツエルマットを見晴かす標高(3660m)の雪原の丘に立った。ここでもう登ることはないのだと思うとうれしくなる。ヨーロッパアルプスの奥深く、この雄大な大雪原に自分がいることが信じられないぐらいの世界である。もう2度と見ることがないであろうこの景色を眼に焼き付け、写真に収めスキー滑降にはいる。

雪の状態はよく、最初は傾斜も緩く大きなターンを繰り返し快適に滑る。広いようでも滑走コースは限られているようで、ガイドの跡を忠実に滑る。外れるとガイドが大きな声で注意をする。ヒドンクレバスがあるからだろう。クレバスの横、青氷の出ているところ、小さな窪みの通過などを繰り返す、全く気が抜けない。うっすらとスキー跡もところどころに散見される。

大雪原からツムト氷河に入るところは急斜面が続き緊張する。転倒しないことだけに集中する。ツムト氷河に入ると,左岸,右岸とクレバスを避けて滑る。ガイドのルートファインヂングはミスがなく、すばらしい。

マッターホルンの姿が大きく変化し、北面から東面が見えてくる。長い、長いツムト氷河の右岸の緩やかな斜面をトラバース気味に滑走し、対岸のショーンビルヒュッテが小さく見えてからも長い。スタッフェルにやがて到着して、皆でビールを飲む。ここはもうゲレンデスキーヤーの世界だ。振り返るとマッターホルンの見なれた姿が高く聳えて、われわれが滑ってきた氷河もその下に見える。

フーリーを過ぎ,緩んできた春の雪を滑りツエルマットに滑りこんだ。高度差2000m、直線距離約20kmの滑走であった。7日間の行動と氷河の急斜面、悪雪、長い滑りは私の体力、スキー技術の限界であり、ツエルマットでスキー板を外したときは本当にほっとし、私のオートルートは終わった。

翌日はツエルマットのガイドの案内でオフピステスキーを楽しみ。シャモニー経由帰国の途についた。

追記

積雪期のオートルートはいくつかあるようですが、われわれが歩いたコースは古典的なフランスルート。全長120km(われわれは一部カットした)

シャモニー出発4月7日、ツエルマット到着4月15日 (6泊7日)

オートルートはフランス語で「高き道」の意

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