"Nice to help you."
小林 深(1960年卒)
↑C2よりの南方を望む
急な岩場を2ピッチ目、6200m地点で小松が体調不良で降りることになる。やむなく私も、単独で山頂を目指すことにする。
インデペンデント(6500m)まで来ると、急に視界が開けて、アンデスにはもうこれ以上高い山はない事が見渡せる。北側は主峰に遮られて見えないが、西側には氷河を抱いた山々が眼下に広がっている。南側は遥か彼方まで、延々と山々が連なっている。しかし、ヒマラヤやカラコルムのように、辺りを威圧する巨峰は無く、凄みも迫力も感じられない。遥かに連なる山々は、真っ青な空にくっきりした入道雲を戴き、見る目も鮮やかである。乾いた、明るい開放感が支配している。
ここから先は、余りきつい登りはなくどんどん登る。その内、頂上に通じる長くて急なガリー状のガレ場にやってきた。苦しい登りで、不用意にステップを取ると、登っただけづり落ちてしまう。づり落ちると踏ん張るため、体力を倍ほど消耗することになる。2〜3歩毎に、10回くらい激しい息をせねばならない。上を見るとウンザリするので、ひたすら足元のみを見つめて、ゆっくりゆっくり焦らず着実に、あえぎながら高度を稼いで行く。どのくらい時間が経ったろう、と、見上げると頂上に続く稜線が直ぐそこ、あと4〜50mも無いところまで来ていた。頂上は稜線の直ぐ右横である。此処まで来れば、あとは楽勝だ。登頂成功間違いナシという事が分かると、それまでの張りつめていた気持ちから一気に解放される。6900m位の高さだが、幸い今日も高度障害は全くない。
ところが、ふと横を見ると、20m程左のガレ場の中に佐々木Lが立っているのを発見。声を掛けるが、どうも様子が変である。近寄って聴いてみると、何と目が見え難くなったと言う。私の顔も識別できない様だ。一人で降りれるかと聴くと、降りれると云うので、じゃあ降りろと云うと、忽ち20m程滑り落ちたも同然の状態で降りてしまった。ルートはおろか、足元も良く見えていないようだ。転倒して、頭を岩にぶっつければ終わりである。それでも果敢に、ルートを外れて違う方向へ更に降りて行こうとする。
これはいかんと、直ちに登頂を断念、彼を追いかけて下降、ザイルを付けてガラ場を降りる。目が見えない為だろう、平衡感覚が取れなくてフラフラしている。ガラ場を過ぎて暫く行くと、やがて心配していた大雪渓のトラバース地点までやってきた。
万一、雪渓でスリップされると、私の力で大柄な彼を止めれる自信が持てない。大丈夫渡れるという彼を押し止めて、誰かが降りて来るのを待つことにする。
程なく現れたのが、大柄なドイツとノルウエーのパーティ。事情を話すと、我々が助けてあげようと云って即座に引き受けてくれた。2人掛かりで佐々木の肩を両方から支え、急な雪渓を渡りきってくれた。私は後ろから、ザイルで確保する。あとは1人ずつ交代しながら肩を支えて歩き、急な岩場も2人で上手く下ろしてくれ、約3時間掛かってC2に到着した。
私一人では、何もできず途方に暮れるだけだったので、彼らの真摯で懸命な救援にもう感謝感激であった。別れの時、名前と住所を書いて貰い、お礼の言葉を下手な英語で述べている内に・・ホントに心底嬉しかったので・・不覚にも涙が出てしまう。
それを見た一人が、私も彼に・・もう一人を指して・・かつて助けて貰ったんだと言って、私の肩を強く抱き、
" Nice to help you."
・・・と云って、C1へ降りて行った。素晴らしい言葉と共に、爽やかな、暖かい、大きな感動を残して・・・。それは間違いなく、物理的に山頂を踏んだよりも、遥かに大きな感動のように思われた。
↑BC西面の山
長い1日の全てが終わった時、すっかり草臥れ果て、そのまま二人とも死んだように寝入ってしまう。夜半、猛烈な空腹感で目が覚め、ザックの中から行動食を手探りで取り出し、水もないまま寝袋の中でボリボリとかじる。混乱で、昼食も夕食も取っていなかったことを思い出す。
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