チョムカンリ(7048m) 登頂記
武部秀夫(1978年卒)
↑チベット ニンチェンタンラ山脈の第二高峰。チョムカンリ南面 ベースキャンプから見る
今夏のチペットも、モンスーンの影響が多々あった様子でした。チョムカンリ自体が、ヤルツァンポ川の北、ヒマラヤ山脈ではないニンチェンタングラ山脈にあることで(ニンチンカンサよりも100kmも北方にある)、モンスーンの影響はだいぶやわらいでいるものと思っていましたが、あいもかわらず、晴れた日は3日、ほとんどが雪とガスの目々でした。山自体もBCからいきなり氷壁、氷河プラトー、大雪壁、雪稜、それにC1まで6000mの三角ピークを一度登り、80m下降していくという、まったくもって総合力を駆使していくしんどいルートでした。
C1〜C2も40°〜45°ある雪壁、氷壁、ミックス壁の連続で、休める場所がほとんどなく、気が抜けないルートでした。おそらく6800m〜頂上までが本来一番ゆったりしたルートだと考えていましたが、アタック日もよい天気ではなく、ガスの中、視界に注意し、赤旗を30m間隔にぶちこんでの霧中登攀で、BC〜すべて、しんどい山でした。登頂した3名は、頂上でつらさを思い出して泣いてしまいました。もうモンスーンの山はこりごりです。私自身、今回は3つめの7000m峰でしたが、一番つらい7000m峰でした。
←チョムカンリ南壁。ルートはアイスフオールを登攀し、左側のターシャム峰を登り越しコルに出て南壁を直上する。
8月16日C2起床5:30→C2出発8=00→チョムカンリ頂上1240→C2着14:20
悪天候の中、体勢をたてなおして8月11日よりC1入り、ルート工作と荷上げ。降雪後は必ず南壁が表層ナダレのオンパレードになる。それにしても1週間がはやくたってしまった。昨日好天をつかまえて一挙にアタック隊の3名(佐藤副隊長、川崎くん、武部)とサポートの3名(石川登攀L、岩瀬くん、鈴木<ん)で6600mにある岩峰墓部にC2を設営。同時にC2上部の急峻な壁に4ピッチフィックスし、今日をむかえる。早朝目覚めると風雪、しかし、ガスがすこしきれていて視は100m.C1にいる隊長と交信、C1からだと上部はガスの中だという。8時まで待機する。
西方のタブラー峰6500mが見えてきたので天気はもつだろうと判断し、『いけるとこまで』ということで出発。フィックス終了点からはただひたすら雪壁をのぼる。赤旗を30m間隔で打っていく。ラッセルは膝ぐらい。雪質は安定しているのでこわくはない。11時、高度は6900m近い。ガスだが、100mの視界はある。頂稜部のゆるやかな曲線が近くに見えている。3人の登頂意志は固い。C1にいる隊長に佐藤よりかけあってもらう。そして結論は「14時までつっこむ」。ふらふらになりながらも帰りを考えて、ラッセル、赤旗さしの単調な作業は続く。交信後1時間、どうやら傾斜がおちてきた。頂稜の一角に出た様子。一番高いところをめぎして進むこと40分。やっと頂上に着く。
川崎、武部、佐藤の順に着いた。ガスであいかわらず視界悪く、50m程度。頂上はただひたすら雪原状となっていた。12時40分登頂。交信すると登頂できたことにきょとんとしている。というのもC1付近まで南壁上を雪崩がオンパレード状態だとか。また同時に2次隊がC2に上がれない旨の報告もあった。これで1チャンス。チョムカンリも終わった。ガスの頂上では3人、年甲斐もなく泣けてしまった。うれしさの涙ではなく、つらさのなぐさめの涙であった。
下りは速いもので赤旗たよりにどんとん下っていく。C2に着くなり今度は安堵の笑みがあった。C2に一泊して、雪崩に注意しながらみんながいるC1に到ったのは翌日の10:30、さらにC1も撤収してBCに着いたのはは16:30、そこは緑あふれる天国であった。それしても気性の激しい女神であった。
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