ヒマラヤ2人旅
(チュルファーイーストの登頂)

佐々木惣四郎

チュル・ハイキャンプより

チュルハイキャンプよりピサンピーク(右側)とヒマルヒュリ、P29、マナスル、ヒワンチュリ(右より)

期間 2004年10月2日〜10日
<ピサン、チュルイーストを目指して>
 ここアンナプルナ周辺マナンにネパールシェルパ(ダルジー43歳)と日本シェルパ佐々木が10月2日ー10日に合宿しました。モンスーンが明けきらず雨と雪に迎えられました。
 10月2日、麓の部落ピサン3100Mより4100MにBCを設け、4800MにHC(ハイキャンプ)を設け上方を偵察の結果、ピサンピーク6091Mは3日間続いた新雪で5200mから続く逆層スラブ高度差500Mを乗り切る事ができず撤退を決意し5日部落に下山 。
 10月6日、次の目標チユルイーストの部落ホンデ3300Mに移動。BCを4700Mに設け、5100MにHC1を設け、5400MにHC2設定すべく到着して初めて登頂ルートが眺められた。つくずくルートを眺めたが、チュルイースト6558Mは、HC2から氷河に一旦下ったあと、3級レベルのガレ尾根高度差約700Mがあり、最終HC2の5400Mから10時間以上に及ぶ登はんが予想され、高度に自信がつかず断念!
 結局、当初の2峰が駄目となり隣のチュルファーイースト6059Mの登頂に転向して同日一旦HC1にもどり、すぐにチュルファーイーストにハイキャンプを設定に出かけ5300Mに設定。
 10日 朝3時半起床、6時ほぼマイナス13度の寒気の中出発。約30度傾斜の雪面が続き9時45分登頂に成功。1番ランナーで3時間45分で成功する事が出来た。
 今回の敗因は1人という心理的なビビリが表面に出た為といえます。高度順化には問題なかったが、地球の加重の重さを感じさせられゼイゼイハアハアの9日間でありました。
 なお、ネパールシェルパは優秀であって、ついて行けきれなかった事になります。どこでもシェルパに見られた日本シェルパは、敢え無くビビリ 6500Mの壁に辿りつけませんでした。
 やはりヒマラヤの7000ー8000M峰は、迫力十分でアンナプルナ主体に、ガンガプルナ、チリチョ、ニルギリ、マナスル、P29、ヒマルチュリ、マチャプチャレ、ダウラギリ 等々は、豪快で感動的でありました。
参考に今回の2峰は、テクニカルな山で成功する隊は極めて少ないとの事であり、チュルイーストは、イギリス隊1名がシェルパ2名(エヴェレスト登頂者)を伴い、11日 12時間かけて成功していました。

アンナ2峰を背景に  チュルイースト頂上

左はピサン・ハイキャンプよりのアンナプルナ2峰。右はチュルイースト頂上、氷河より側壁を登る。

<アンナプルナ周辺トレッキング>
 9月26日出発地のベシサハール760Mをシェルパ、コック、キチンボーイ、ポーターの8名と出てチャーメ、ピサンに至るも(5日目)モンスーンが明け切らず雨多く、景色はほとんど見られず登山活動に入って始めて雄大なアンナプルナに接しられた
 登山活動後は、シェルパ、ポーターとの3人になりマナンに至り、雪明けの朝、その素晴らしさ感動!アンナプルナ連峰、ガンガプルナ、チリチョ 等がバッテイ(ロッジ)の真前に展開していたのである。
 このルートのハイライトはマナン、トロンペデイ、トロンパスであり、その他はこれとての実感は少ない。ただ、トロンパスは5400Mであり、雪明けの峠越えであったが、それなりにしんどい登りであった。何人かは、越えられず引き返していた。
 峠を下るとムクチナートという聖地でダウラギリ1峰が堂々と聳えている。ジョムソン2700Mまで2700M下山する事になる。ジョムソンからはニルギリ北峰がさえる。
ポカラまでの飛行機は、なかなか難物でイライラしながら順番待ちが必要であったが幸いにも早くのれ17日中にカトマンズに帰れた。
 トレッキングの醍醐味は、7000−8000M級の雄姿に接しられる事がポイントの1つであるが、この点からすると街道を巡るだけでは、満足は得られないと思う。山に登らなくてもベースキャンプにゆくと、5000Mぐらいからの迫力は全然違うのである。つまり、ベースキャンプ巡りをプランに入れると、4000M越えるとエーデルバイスも見られ充実感がアップし、素晴らしい写真も撮れると思う。ただ、ある程度ハイキングになじんで歩いている人でないとやはりつらいと思われる。

新雪明けのマナン

新雪明けのマナン。アンナ3峰を背景にしての佐々木シェルパ。

<トレッキング中の出来事>
 シャワーがバッテイには備えられており、冷たいと思いきや暖かい湯が出てきてビックリ。ソーラーで暖めて出てくるのである。無料の場合と有料があるようである。便所はエベレスト街道のクーンブ地方より完備していて水洗方式であった。
また、羨ましいぐらいに子供が多く、どこのバッテイでも小さな子供が元気に遊びまわっていた。

 ピサンではシンガポール隊の5名と一緒のベースキャンプで、彼等も小生がリタイアーしたので同じくリタイアーして、かれらはチュルウエストにそのあと向かい、13日成功したあと、ジョムソンに至るまで相前後してずっと一緒だった。若いグループで2山巡りは小生と同じで散々交流を持った。逆に、日本人に会ったのは唯1人だけでネパールに住む64歳の女性で北濃先輩と親交のある人であった。

 1人旅は気楽といえば気楽であるが、長い夜、長い休憩といかに過ごすかが課題であり、小生の場合、モッパラ、カセットレコードを聞く事で石川さゆり、五輪まゆみ が中心で毎日2時間近くは聞いていた気がする。カセットは必携である。特に、沈澱は1日だけであったが、お喋り相手はシェルパだけで、ひとり人生の棚卸をイロイロとする事になる。
約1ヶ月の旅であったが、早くも次の旅が待ち遠しい。

トロンパスにて

高度5400mのトロンパスよりムクチナートへ下る。ダウラギリ主峰の雄姿を仰ぐ。

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