グリンデルワルトにて
藤本 勇(1959年卒)
メンバーは3年連続の小笹君、高校時代の山友達の中島君、元気印の女房と小生の4人。
定年を迎えると時間はタップリとあるが、先立つものがままならず。今回のメンバーは皆、リタイア組みなので、出来るだけ出費を押さえての旅だった。
アイガー
7月22日にスイスのチューリッヒ空港に到着。小笹リーダーは3年連続だけあって旅慣れたもの、空港駅で「スイスカード」に使用最初の日付印を押して貰う。午後には最初の目的地であるグリンデルワルトに到着。数年前、岡本君夫妻が長期滞在された「ホテル ベラリー」に荷物を置き、2日間の宿とする。ホテルの経営者は鹿児島県人で、宿泊の人達もほとんどが日本人であった。
23日は時差解消のために、バスでブスアルプまで行き、曇天の中ファールホルンの頂上まで登る。今年は雪が多かったのかして、標高2000米以上の地点で残雪が豊富であった。帰りはバッハアルプゼを経て下山。天気が良ければここからの展望は最高らしいが残念ながらガスの中で山は見えない。しかし、高山植物の咲き乱れた池のほとりでアルプホルンの笛の音が聞こえてくる。まさにスイスアルプスのまっただ中にいた。
24日。今日はプフィンシュテークへのリフト乗り場の下にあるキャンプ場へ移動した。キャンプ場からはアイガーのミッテルレギの稜線、下の氷河が目の前にあって最高の場所。トイレ、シャワーの設備から洗濯機・乾燥機など心ゆくまでの施設が整っていた。また、公衆電話から日本への通話料の安いこと。
皆で食材の購入にスーパーに行く。野菜なども豊富で日本のように包装されておらず、好きなだけビニールの袋に入れて秤にのせれば料金がシールで出てくる仕掛け。日本のスーパーも口ではゴミの分別などを強調する前に販売の方法を考えねばならないと思う。
午後、時間があったのでフィルストまでリストで登る。50以上のバラグライダーがフィルストの丘を飛び立ち中空に舞う。色とりどりのパラグライダー。俺もやりたいなあー。
グリンデルワルトのテント村
25日。リフトに乗って対岸のプフィンシュテークへ。山腹を巻いているとき、突然人間の頭くらいの落石が体の近くを通る。ハイキングコースとはいえ、山は何処に危険が潜んでいるのか分からない。上氷河の絶壁のふちに造られた道は高度感があった。明日からの氷河歩きのため無理をせずに、グレックシュタイン小屋の手前で氷河を見物しながら引き返す。
26日。登山電車の途中駅クライネシャイデェクからは満員でユングフラウヨッホまで立たされた。立たされたのでアイガー駅からの急勾配がよく分かった。ユングフラウヨッホの駅は地下の中、プラットホームが上下2階になっている。ユングフラウ側の出口に出るといろいろな国からの観光客で展望台は人、人、人。
今日から3日間ガイドに連れられて氷河歩きをする。ガイドが午後1時半ころ現れ、スイス人の家族3人も我々と同行する。先行のパーティー10数名ばかりが氷河を下っている。私達もガイドの指導でアイゼンを付けアンザイレンしてコンコルディア目指して下る。天気は快晴。四囲の景観は素晴らしい。山スキーの人が氷河を下っていく。氷河の中に急流があり、女房が飛び越そうとしたが足場が崩れて片足を濡らす。
コンコルデイアまでは傾斜の殆どない斜面を5キロほど歩いた。コンコルディアはおよそ2キロ四方に広がった十字路。カラコルムのコンコルディアの地名はここから来たのだろう。
ヒュッテは氷河から100米ほど高い崖の上に建っていた。氷河からは穂高の屏風岩に階段を取り付けたようなものを登る。すごく高度感有り。スリル満点の階段であった。小笹君の調べでは385段あったとのこと。100年前にはこのヒュッテの近くまで氷河があったと思うと地球温暖化による氷河の後退の凄さが分かる。
ヒュッテは登山組、ハイキング組で満員。スイスの夜は長い。10時頃にやっと真っ暗になった。ヨッホからヒュッテまで約3時間半。
オーバー・グレーチャー氷河
27日。昨日の階段を下って氷河に出る。全員、アイゼンをつけてザイルに結ばれる。勿論トップはガイド。氷河の上にいろいろな大きさの岩があった。恐らく右岸の山からの落石だろう。ガイドはひたすら休憩なしに登る。周囲の景色は素晴らしく、雪と岩と氷の世界だ。3時間でグリュンホルンリュッケの峠についた。峠からは小笹君と登る予定のフィンステールホルンの雄姿が飛び込んできた。格好のいい山だ。登るルートを目に焼き付けながら氷河を下る。峠から1時間半でフィンステールホルン小屋に着いた。昨日のコンコルディアよりも快適な小屋である。午前中は快晴であったが、夕方から天気がくずれ、雨となる。
28日。夜来の雨がやまず。ガイドが出発を遅らす。今日は8−9時間ほど歩かねばならない。小屋からは氷河に降りずに右岸沿いにガレ場をトラバース気味に歩く。やがて左上に登るルンゼに取り付く。途中40度くらいの斜面を慎重に登る。峠はゲムズリュッケ(3280)
という名前がつけられていた。今回のコースで一番標高の高い地点である。峠からは目の前の氷河をまっすぐに下る。雨も上がったようだ。下から登ってくる人が多い。オーベーラールヨッホの小屋下で大休止。ガイドがタクシーの手配を小屋の電話を使ってやってくれた。地図で見ても長いオーベーラール氷河を下る。下るにつれてガスも切れてきて見通しが良くなってきた。赤い氷河、風で運ばれてきた赤い花粉?が氷河の上につき、雨で流されてシマ模様になっていた。氷河の末端にはダムがあった。
3日間の氷河歩きを無事に終えた。3つの峠を越し、30キロの氷河を歩いた。
ユングフラウ
29日。一日休養日。氷河歩きで一緒だったスイス人の家族から夕食を招待される。彼らのアパートは我々のテント場より上にあり、見晴らしが良くて素晴らしいインテリアだった。奥様手作りのパイ皮つめ子牛肉とキノコのクリーム煮、サラダ。デザートは庭で取れたというリンゴを使ったアップルパイ。全員大満足でスイスワインに酔いしれる。
30日。小笹君とメンヒへ。中島君と光子はアイガートレイルをハイキング。
朝一番の登山電車でユングフラウヨッホへ。メンヒヨッホへの平坦な道を歩き、メンヒの尾根の末端でアンザイレンする。登り出したのが10時20分。最初は簡単な岩登り、雪稜が出てきてアイゼンをつける。既に3−4パーティーが尾根に取り付いていた。登頂した2人組の下山者に出会う。岩場を過ぎると急なナイフリッジとなる。4000米近くになるとスピードが一段と遅くなる。脚力の衰えが目立つ。天気は快晴で展望は最高であった。12時をすぎると雪が腐り始めてグサグサ。あと標高差にして5−60米の頂上下のトラバース地点で断念して引き返すことになった。登り出して3時間のアルバイト。ヨーロッパアルプスの山登りは早朝の間に登り、雪が腐り始めるころには安全な所まで降りてくるのが定石だ。やはり、昨夜はメンヒヨッホの小屋に宿泊すれば良かったのにと後悔した。引き返し点より尾根の取り付き地点まで、下山に3時間20分を要す。
日曜日からのフィンステールホルンへの登山は、小生の脚力では小笹君には迷惑をかけるだけなので、申し訳ないが断念して貰う。
31日。全員でミューレンへ行く。途中でトリュンメルバッハの滝を見物しリフトを2回乗り継いでミューレンの街に登る。こんな高い場所に静かな街があるとは信じられない。
観光客も少なく好感のもてる街だ。光子は来年はレンタルハウスで夏中すごしたいとラーメン屋のオバチャンに連れられて情報収集に忙しい。スイスはあまりにも整備された国で、どこを取っても感心するばかりだ。
8月1日。毎日、テント場より朝夕仰ぎ見ていた前の氷河を登る。リフト降り場からスティング小屋までは良く整備されたハイキングコース。多くの登山者が歩いていた。氷河のアイスフォールを見ながら、のんびりと長い休憩を取った。羊の群、鈴の音、ネパールの山を思い出す。
今日はスイス建国記念日。駅前のバスターミナルで夜祭りがあった。近くの山々から松明が灯り花火が上がる。グリンデルワルトでの生活も今日で終わりだ。明日からはツエルマットでのテント生活が待っている。
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