キリマンジャロ登頂
2003/2/28-3/6
36年卒 長谷川ふみ子
キリマンジャロのウフルピーク(Uhuru Peak 5895m)に登ってきました。
在ケニア・タンザニア大使が毎年ケニアに住んでいる外交官等を対象に企画している登山で、(ポーター、ガイド等同行スタッフがいいことで有名)今年は日本人9名を最高にアメリカ人、カナダ人、フランス人、イスラエル人、タンザニア人の計31名の参加でした。
2月28日
ナイロビ(標高1700m)を朝8時半出発。麓のMarangu Hotel (1100m) に4時過ぎ到着。ホテルのオーナーからルートのレクチャーがあり、持ち物点検。大きな倉庫に登山用具がびっしり備えられていて、足りない物があれば貸してくれ、不必要な物は置いていく仕組みになっている。オーガナイズが下手で、何時にどこに集まって何をするかが全員に連絡され実行されるまでに時間がかかる事と、何を聞いても返ってくる返事は「ポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)」で、それに馴れるまではイライラの連続だったが、個人装備を持つポーターが31人にガイド、料理人、緊急時に連絡に走る人などスタッフが多く、その素朴な人柄に好感がもてた。又すべての行動が登山者の自主性に任されている反面、危険を伴う登頂の日の気配りや、小屋を引き上げるときは担当者がさりげなく最後の人に寄り添って次の小屋まで安全に送り届ける配慮は実に見事だと思った。
3月1日
朝食後、各自ポーターに紹介される。全行程同じポーターが1対1で付くが荷物は先に行くので、夕方までに必要な物は自分のリュックで運ぶ。
Park Entrance( 登山口1700m)まで車で。記帳後、皆バラバラに歩き始める。トップからビリまで1キロ近く離れているのではないかという感じ。
Mandara Hut(2743m)まで、12キロの行程を1時間の昼休みを入れて5時間。
毎日ゆっくり歩く事が高度適応と筋肉に疲れを残さないために必要との事。色々な鳥やサルに出会う楽しいルート。小屋に到着後、夕暮れと早朝にクレーターを散歩。
↑抜けるように青い空。ポーターは荷物を頭の上に載せて軽々と進む
3月2日
Horombo Hut (3760m)までの長いだらだら登り。15キロを8時間で歩く。木苺や蕨を見つけたり、滝が幾つかあって楽しかったが、ともかく長い!
空気がきれいで快晴のため、遠くの山がすぐ近くに見えるが、いくら歩いても近づかない。
3月3日
Kibo Peak(キリマンジャロの最高峰)の麓にあるKibo Hut (4730m)までupper routeを登る。 頂上のクレーターに氷河を抱くKibo Peakと、砂と岩だけの Mawenzi Peakの鞍部を行く道で、この2つの山の眺めが実に素晴らしい。頂上は直ぐに雲に隠れてしまうが、ポレポレのお蔭で30分近くも雲が消えるのをのんびり待つ事ができ、至福のひと時。
↑目当てのキリマンジャロは歩いても歩いても近づかない。ここから更に4時間!
↑男性的なマウエンジィ・ピーク。あの雲 速く動いてくれないかなぁ
途中で水の最終点があり、その先はhigh altitude desert となる。 標高4000mを越すと、気分の悪い人が出はじめる。この時期に Kibo Hut のあたりで積雪が見られる事もあるらしいが、今回は全くカラカラに乾燥。16キロを8時間の超スローペース。
翌日のアタックに備えて、夕食5時半、仮眠5時間半の予定が、遅く小屋に着いた人がいて仮眠は2時間半になる。殆ど一睡も出来なかった。
3月4日
熱い紅茶とビスケット2〜3枚で朝食。真夜中12時に出発予定が、半時間遅れ。
電気が消えた小屋の廊下で前から来るポーターとぶつかるパプニング。人の気配はするが顔が黒いので何処に居るのか分からない。星が覆い被さってくるように大きい!感激!
下はスパッツに山ズボン、更に冬ズボンの上に雨具のズボン。上はセーター2枚にフリースのジャンバー、スキー用アノラック、雨具。言われたとおりに着ると普通に歩くのも辛いくらいコロコロになる。防寒水筒も凍るからセーターとアノラックの間に持つようにと注意される。デジカメはホッカイロを貼り付けて肌に近いジャンバーのポケットに。
11人のガイドが我々の間に等間隔に入り、ポレポレの雰囲気が一転する。さすがに緊張が走る。富士山の砂すべりを登る感じ。だんだん疲労と眠気で足が上がらない。
ガイドの言葉はスワヒリ語だけ。頭の上を大声が飛び交うが、「休もう!」と言っているのか、「もっと登れ!」と云っているのか分からない。せめて大事な事だけは英語で言ってくれ!と言いたくなる。砂すべりが岩場(と言っても大きい岩がごろごろ)に変わって、登る角度が更にきつくなり、頂上近い事を期待させるが、なかなか着かない。
漸く空の色が変わり始め、御来光に間に合わないかと焦り始めた頃、頭の上から "congratulations ! (登頂おめでとう!)"の掛け声。 うれしかった!
↑やれやれやっと着いた。ギルマンズ・ポイントもう死にそう!
↑憧れの頂上。5895mのウフル・ピーク
Gillman's Point (5680m) である。6時間かかった。紅茶とビスケットで乾杯!
ここで一応 CERTIFICATE (登頂証明)がもらえるが、頂上のクレーターのへりを更に1時間余り歩くと Uhuru peak (5895m、本当の頂上) があり同じ道を引き返すことになる。 今日はこの後、高度差2000mの下りが待っている。体力が続くかどうか心配だ。
朝日に煌めく雪渓、と言うよりは天に向かって突き上げたような氷の壁に魅せられて歩き始める。空気の薄さを感じる。ろれつがまわらない。
私以上にバテたのがデジカメ。 電池がいかれて動かない。
念願の Uhuru Peak(5895m)に到着。 大満足!
暫くボーとしている。 これはいけない、高山病の始まりかも。
↑頂上付近で氷河をバックに。顔はむくみ、頭は朦朧。
大急ぎで Gillman's Point まで戻って、岩場の下りを快適に飛ばす。
砂すべりで調子に乗っていたら靴の中でつま先がきつくあたる。あまりの痛さに靴下 を脱ぐと爪が4本ご臨終。 酸素の少ない頂上付近で集中力を欠いて、下りに備えて靴紐を締め直すなどの初歩的な注意を怠ったのが原因。残る砂すべりを泣く泣く下りて、小屋 Kibo Hut 4730m) で簡単な食事と2時間足らずの休憩。
今夜の泊り ( Horombou Hut 3760m) まで更に3〜4時間の下り。痛い足を引きずっての下り道は、夜中の登りよりずっと辛かった。
3月5日
Horombou Hut ( 3760m ) から Marangu Gate ( 1700m )まで27キロを下る。
登山口から車でホテルまで。5日ぶりの風呂とビール。やはり下界はいいなぁ。
夜はホテルの庭で、ポーター、ガイド、食事を作ってくれた人など、60人あまりのスタッフと我々の約100人で盛大なパーティ。可愛い「キリマンジャロの歌」の合唱、バナナのドブロク(我々にはとても飲めない代物)を振舞われて、最後の夜をエンジョイした。
3月6日
隣の国タンザニアから一路ケニア・ナイロビを目指して車は猛スピード。3時過ぎ無事帰宅。
登山口の係員によると、記録を取り始めてからの最高峰ウフル・ピーク登頂者の最高齢は74歳。ついでに私の年以上のウルフ・ピーク登頂証明の持ち主は100名に満たないとの事で、大いに誇りに思ってくださいと言われ、年をとっていること(自分ではそう思っていないが)も悪くないかなと思った。そして75歳になったら、最高齢の塗り替えにチャレンジしようかなと。キリマンジャロは"素人でも登れる山"がキャッチフレーズで、実際、酸素ボンベも要らないし、比較的易しい山だと思う。但し、毎日高度差1000m以上を3日間歩き続け、登頂の日は夜中から1000mの急な登り(6時間)の後、標高5800m余の頂上付近で2時間余りの歩行、更に1000mの急な下りと1000mのだらだらの下りと実働15時間(足の爪をやられたので長くかかった)は実にきつかった。高度順応に問題はなかったが、酸素不足のため集中力を欠いて下りのために靴の紐をきつく結び直すのを忘れるなど初歩的ミスと、6000m近い高度のせいで唇と手の指先が凍傷になったり、記憶が一部ないなど高所での行動に関する認識と準備が足りなかった事を反省している。
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