長い長いカンチェンジュンガBCへの道

    9/23/2006-10/20

              40年卒 佐々木惣四郎

 

ネパールの最も東に位置し、インドのシッキムと接するカンチェは、世界3位の高峰で8598Mあります。「遠 きカンチェかマナスルか」と歌にもなり和田城志(工50卒)さんの登頂した山でもあります。しかし、このカ ンチェは入山制限地域で山深く、訪れる人は年間100-200人で小生入山の19日間に12パーテ イ(イタリア、スペイン、イギリス、南ア、アラスカ、西独 等々日本なしの約40人)に出会っただけでした。1人ではトレックは認められず登山と抱き合わせでOKとな り、ボクト峰(6143M)が目標となりました。一抹の不安がありましたが世に名高いジャヌー峰(7710M)をじかに目のあたりにしたいとの 思いで4年来のシェルパと6人のコック、キッチン、ポーターと旅が始まりました。

カトマンズからビラトナガールまで飛行機で行き、ここからジープで2Hでビルタモールという所へ着くも、町は停電中でホテル探しに30分かかり、pm8時やっとホテルに入る。翌日am4時半の便にて、麓のタプレジュン行きで行こうとしたが満席で8時半便にて出発し、pm7時ゴペタというところに、転覆する程の悪路の中 5-10Kのノロノロ速度で着き、ほぼ全員50ルピー(80円)で宿泊した。翌6時またもや大揺れでバスが出発し、12時にやっとタプレジュンに着く。17時間の長旅で、とても定期バスとは思われない。信じられない。カラコルムハイウェイでイスララマラードから17時間か けてギルギッドまで行ったのより悪く、3日かけてようやくタプレジュンに着いたことになる。「あーカンチェは遠いなー」というのが実感であった。  

9月28日キャラバン開始。ミトング(920m)ーチルワ(1270m)ーセカトム(1660m)ーアジムロッサ(2510m)ーキャプラ(2730m)ーグンサ(3500M)と続き、暑さに閉口してコーラを飲むのが楽しみ。ひたすら河を遡り、山には巡り合えず、豪快な滝が3箇所のみ。ここからやっと山が見え始め翌日カンバチェン(4100m)手前では念願のジャヌー(7710m)が見え大感激。

ジャヌー

アマダブラム、マチャプチャーレと並び人を寄せ付けない勇壮な姿で見飽きない。圧倒的と言える。丁度3700Mの高度差で、目の前に岩壁がそそり立っている訳で ある。
カンバチェンより山が見え始め、ロナック(4760m)ーパンペマ(カンチェンジュンガBC 5000M)に10月7日に着き、高度順化の休みを取る。目の前にカンチェの北面が3500Mそそり立っており、和田さんのトレースに限りない誇りを感じさせられた。

カンチェンジュンガ

またウエッジピーク 6750Mのヒマラヤひだが素晴らしい。何回 も買いたてのキャノンEOS5で写真を撮ってしまう。

ウエッジピーク

 

10月9日の出発後12日目、 裏手にあるドーモ リ 6050MにAM1時に起き、1時45分約マイナス5度の中シェルパと出発。天気は出発以来、最高と思われ、空に月がコウコウと輝き、オリオン座が頭上にあり、まわりの山々は白く幻想的な装いである。テント地から5400m程はモレーンの連続で息が切れる。5400mから雪と岩のミックスで、am5時35分向かいのカンチェンジュンガ、ウエッジピークが赤く染まり、最高のご来光であった。ここから雪のリッジとなりアイゼン着用し、最後は30m程の岩峰で、3級程度の岩登りながら1時間もかかり、7時20分頂上に立つ。高度は、6050mとスペイン登山隊が言っていた。まわりの素晴らしさは過去4回の6000m級の登山の中でも最高で、エバレストのカラパタールとも匹敵する素晴らしさである。ジャヌー、カンチェ、ヤルンカン、ツインズ、ウエッジピーク 等々山がひしめき合い天上の展望台で、写真とりながら30分も滞在した。

結局、休みを含め、登りにかかったのは6時間で、BCまでの下山は3時間で、10時30分BCに着いた。テント場からは、すぐそこにピークが見え、3時間ぐらいでゆけそうなのに、今回もゼイゼイいいながら、登った事になる。
地図からも解るように、この地域には山が密集しており、スペイン隊が登山中のドーム コング(7440m)峰も近くにみえたが、今回敗退の様子。今回の挑戦は2回目で、再度3回目はチベット側から挑戦するとの事でリルンと似ている。

  パンペマからの帰途、ボクト峰に登るべく登山許可を得ていたが、日本での事情で早く帰る必要があり、断念して、同じ道を7日間かけてタプレジュンに戻った。最低高度920Mで最高高度5000Mの約4000M登行であるが 、グンサ川の遡行での高巻きが多く、6000M近くは登行必要となる。バッテイ(小屋)は貧しく、宿泊、食事は自前にてやる必要があり、他のトレックパーテイは凄い人数のポーターを連れていた。
  キャラバンでのコック給料 500ルピー(800円)でポーター 350ルピー(560円)で食事込みながら日本での昔のニコヨン並みになりつつあり 小生の払いは$3000(一日当たり80ドル)であった。マオイストには集金にこられ5000ルピー(8000円)とられた。

最も苦労した事の1つは長い夜の眠りにあった。7時には夕食が終わったあと、カセットで1時間余音楽を聞いてから眠るのですが、慣れれば以外と長時間寝れるようでしたが長い長い夜でありました。また、昼の時間も多くあり、持参の文庫本7冊を読みきり、良い思いでとなりました。

 

タプレジュンからの帰りは飛行機に固執したが不定期のようで2日間待ってようやく乗れ、ビラトナガールまでゆき、乗り換えてカトマンズまで$160で、乗り換えの混雑は激しくとても1人では行けない。

カトマンズに着いてヤレヤレであったが バンコックへの飛行機が満席続きでキャンセル待ちのスタンドバイでようやく日本にたどり着いた。バンコック空港は、新空港に移行しており、これまでと比較し、味気なさを感じさせられた。

              

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