カンジロバ・ヒマール主峰初登頂(2)

3.合同遠征隊の実現
 カンジロバ主峰登頂を目的とする一方、日本とネパール両国の親善を一層緊密にするため、日本で初の日・ネ合同遠征を試みようというプランが生まれた。丁度万国博のネパール・ナショナルデーに出席のため来日されたマヘンドラ国王に、その件を渡瀬学長より申し入れ、快諾を得た。これを実現させるため、先発隊として、奥田、沢田両隊員が七月にネパール入りし、現地にて交渉した結果、トリブヴアン大学から、登山技術はともかく、非常にすぐれた資質と安定したパーソナリティを持った二人の先生の参加を得ることができた。二人の参加により単なる登山だけで終ることなく、学術調査を含めた一段と充実した実り多い遠征隊となり、これが今回の遠征が成功した陰れた要因であった。
 最後の問題点として残されていた西面からのアプローチは、東海大隊、神戸商大隊の写真にある最低コルがタイソンの地図と一致したことにより、パトラシ・ヒマールを越えるという全くユニークなプランによって解決された。それは「解決」というより、むしろ「賭け」だった。コルに到達する見込みはついたものの、ジャグドウラ谷側がどうなっているのかは堆測するしかなかった。それもどちらかといえば悲観的なものだった。
しかし、カンジロバにひきつけられた私たちにとっては、もはやこの方法しかありえなかった。そして登項の成否を、このコルからの下降に賭けたのである。
 今回の遠征の特徴は、日・ネ合同遠征と、パトラシ・ヒマールの下峰という、かって例を見ないアプローチ方法をとったことのふたつにある。
 メンバーおよびシェルパは次の通り。


 隊 長 常慶和久(29歳)積水化学工業(株)勤務、
              第二次ランタソ・リルソ遠征隊員
 副隊長 佐藤一良(25歳)蝶理(株)勤務  
 隊 員 諏訪真一(25歳)大阪市大付属病院勤務
              医師、写真、測量
     奥田 寛(23歳)日本ペイント(株)勤務
              渉外   
     後藤昌行(22歳)経済学部4回生
              食料、輸送
     沢井弘忠(22歳)経済学部4回生
     澤田宗博(22歳)法学部4回生
              記録、会計、気象
     S.Lアマチャ(34歳)トリヴヴァン大学講師   
               経済地理学専攻 
     P.Rシャルマ(31歳)トリヴヴァン大学講師
               考古学専攻

 サーダー アン・バブ(35歳)      
 シェルパ ブルキバ(45歳)
      ツェリン・ナムギャル(28歳)
      パサン・ニマ(25歳)   

4.ベースキャンプへ 
 9月1日と3日の二隊に分かれ、チャーター機にて全員スルケット到着。6日、110名のポーターとともにキャラバン開始。
8日、ダイレクにてポーターの交替。山蛭に悩まされながらマブ峠を越し、十六日、ジュムラに到着。ここまではポータ雇傭も請負制度で安くあがり、全く順調だった。翌日、羽毛服の件でシェルパとトラブルが生じたが、金で解決した後、橋作りのため先発隊を送る。タルフィにて三たびポーターの交替を行ない、チョーダビシ・コーラに入る。ジュムラ地方のポーターは請負制が理解できない上、質がよくないし、しばしばストライキを起こし苦労させられた。チョーダビシ・コーラはモンスーン中のため増水しており、橋作りにかなりの日数と労力を費やす。
結局九ケ所に橋を新設し、二十四日、ビジョラ・コーラに入る。
キャラバンを開始して丁度21日目の26日に、右股にべ−スキャンプ(3810メートル)を建設した。U 字谷の開けた、明るい、美しい草地だった。モンスーン中のため、パトラシ・ヒマールは雲におおわれ、私たちの目指すコルは支尾根に遮られて見ることはできなかった。
5. 偵察と荷上げ

 何よりもまず、パトラシの最低コル偵察が先決だった。しかし、その結果は300メートルほどの急峻な岩壁にはばまれ、他にルートを求めなければならなかった。最初の期待は裏切られたものの、パトラシ稜線上に到達することはできるという確信はあった。
 全員で BC からの荷上げを行ない、十月三日、ビジョラ氷河のモレーンの外に Cl (4300メートル)を建設。心要な物資すべてが荷上げされた。翌日より4日間、降雪に見舞われた。
C2予定地への荷上げと並行して、別のコルへの偵察が進められた。しかし、悪天のため視界は悪く、成果は芳しくなかった。昼夜関係なく発生する雪崩が、一種の緊張感を与えてくれた。明けて8日、昨日までの悪天がまるで嘘のような、美しいブルースカイで迎えた。モンスーンは終ったのだ。
 9日、ビジョラ氷河の氷舌の末端に C2(4780メートル)を建設。BC 建設より2週間過ぎたものの、コルへのルートはまだ確保されていなかった。
 翌日、5791メートルの無名峰の南側につきあげている氷河を通過すればコルに到達できるという見通しのもとに、奥田、後藤、アンパブ、プルキパの四名は、30〜50センチメートルのラッセルを強いられながら、最後のセラック帯(約300メートル)にルートをとり、広いコールの手前に達した。しかし、四名とも疲労のあまりコル上に立つことはできず、カンジロバを確認できないまま引きかえした。
 11日、沢井、沢田、プルキパは、コルに C3(5630メートル)の建設に出かけ、ようやく待望のカンジロバの主峰を望むことができた。写真だけでしか見たことのないこの処女峰は、ジャグドウラ谷に悠然としてそびえていた。発達している雪庇に注意しながら足下を見下ろすと、予想をはるかに越える急な岩壁がジャグドウラ谷に落ちこんでいた。二週間以上も費やしてコルに達した喜びは、この瞬間、ある種の不安に打ち消された。周囲を見回しても適当なルートは見あたらず、主峰接近への困難さをひしひしと痛感した。
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