未踏の山 ランタン・リルン(4)

◆ 第一期登攀
 4月9日早朝、近藤らのツンガ上部偵察隊が出発した。ポスト・ランナーが第一便BC設営の報を持って下山した。
 リルン峰偵察の第一段階は@氷河取付き位置の決定Aラクパツェ・ピークからの氷河上部構造の観察、B南稜偵察、Cリルン酉面取付点(ランタン部落側)の探査、等から始められた。
 各パーテイに分れての四日にわたる偵察の結果は、南稜及び西面取付の可能性が殆んどないことが明らかとなり、一方氷河の取付、氷河上部ルートの見通しが出て来た。
 然し、リルン氷河突破ルートに就いての、幾つかの資料で得た一応の計画も、現地での偵察で、その嶮しさが一通りでないことを知ると同時に、登頂への道はリルン氷河を直登する以外にないことを知った。
 リルン氷河は、高度約6500メートル附近から張り出した氷雪が、6000メートル附近の台地で押し固められ、その下部にある"インゼル〃に依つて二分され、更に5200メートル附近で合流している。従ってインゼル下部の合流点附近は、二つの力のバランスで常に激しい変化をしている。私たちは偵察を重ねた末、インゼル直下の5000メートル附近にあるアズキ岩上部迄直登し、そこから右俣に入り上部台地(雪原)に到達することに努カした。

↑ベースキャンプで憩う隊員達。奥の左が故森本隊長、右が故大島隊員

 南稜、西面を諦めた直後、一部の隊員、シエルパは氷河取付地点にC1(4250メートル)予定地をみつけ荷上げを開始し、偵察隊がリルン・アイスフォールに取付いて、第一期の登攀が始ったのは4月13日である。
 取付点から急峻な氷壁にぶっかり、この壁を通過するために、アィスフォール工作隊は苦労した。
 アイスフオールは急峻であるばかりか、氷河の左右からの押出しで非常に変化が激しく・大小無数のセラック地帯には固定ザイル、縄バシゴ等を多数使用した。好天に恵まれC2(5070メートル)設営に成功したのは4月16日であったが、その時の模様を森本隊長は次のように日記に記録している。
《4月16日、大島、伴、ギヤルツエン、アン・ダワ4号の第二次工作隊は、個人装備を持って7時BCより広谷以下の第一次工作隊の設営・ボツカ隊と共にC2へ13時半着、カマボコ型テントを設営。高度5070メートル。広谷隊は荷上げ設営を終えてC1を経て17時BC着。4時間ご苦労さんである。森本、近藤はローカル・ポーター三名をつれてC1に入った。ハンディ・トーキー交信、好調、お互にテントの中から「モシモシ」が出来るので便利なことこの上ない。「明日は縄梯子をかける。」「今晩のメシのメシは何の御馳走か?」などなど……4台とも同調だからC2〜BC間の会話をC1で盗聴するのも又一興である……》
  

         ↑リルン氷河のルート工作              ↑第二キャンプの風景

 私たちは万事が好調に運んで、第二次工作隊は4月20日、C2〜C3間の開拓に成功して下山して来た。C2からの登路は、C2から右上部の氷河へ約一時間で出ることが出来るが、それから上部は常時変更せざるを得ないこと、即ちスケールの大きいクレバス群が多く、それに加えて激しい移動性を持っているからである。
 C3は上部台地(雪原)の入口辺にあり、丁度インゼルの頭の裏側になり、その位置からはキムシュンの吊尾根迄約四、五百メートルである。隊長は第一期の計画をC3建設までとしていたが、C4,C5の必要性からC4、C5位置の決定まで行動を延期することにし、第三次工作隊の編成が成った。
「さあ交代だ。」C1〜C2間の荷上げに従事していた第一次工作隊は、第三次工作隊として4月20日C3(5600メートル)に入り、その後、近藤隊員の応援を得てC4(6000メートル)、C5予定地の設定と登路の偵察に時を過した。
    

            

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