未踏の山 ランタン・リルン(5)

 4月21日、第三次工作隊広谷、パ・ノルブはC3から雪原を横断、南西端の巨大なアイスブロックから右に廻り込み、国境稜線から出来た傾斜約四十度の大斜面に取付き、ややトラバース気味に登る。雪面は連日の好天で軟かく、場所によっては膝までもぐるラッセルが要求されることしばし、長いトラバースの末、午後一時過ぎ国境稜線に至り、稜線上に馬乗りとなって初めてチベット側をのぞき見た。
 直下は約2000メートルの断崖となり、その下に曲りくねった氷河があり、広大なチベット高原に続いている。3〜40キロメートルは離れているであろうか、梯形をした山塊からの入り乱れた氷河の右端に、ゴサインタン西端がキムシュンの蔭に消えている。
 リルン主峰は、直ぐ前に覆いかぶさった岩峰により見ることが出来ない。南側はるか下にC3が確認され、この地点が、国境稜線とキムシュンとの吊尾根にかかる附近にあることが明らかである。
眼前の岩峰を乗越すことが不可能なことより、稜線への出口をもう少し上部にすることに決め、下る。約20分引返し、見上げると、先程の岩峰の約2〜300メートル上部に出られる氷のクラックを見出し、この地点に登攀用具をデポした。

 翌日、第三次工作隊は、昨目決めて来たC4予定地にザイル工作と荷上げをかね、登った。C4は高度6000メートルで、雪原西端のアイスブロックをまいた右肩に位置し、C3から比較的近距離であるが、上部大斜面突破の拠点となる筈である。
 4月23日、応援に登って来た近藤とパ・ノルブ、ミンマ・ツェリンは過日のルートをトレースし、国境稜線への道を切り開いた。
 昨日の用具デポ地点から左にそれ、直登約10メートルのクラックをつめ、稜線に立っことが出来た。稜線上には二つ三つの岩峰がみられ、頂上迄は比較するものがないためか非常に近く見られる。やせ尾根での氷塔乗越しの危険性が考えられるので、クラック下の小さな台地をC5とし、これより張り出した雪庇の下に沿ってトラバースし、更に上部の稜線に出る見当をつけることに成功した。
 すでに第一期の登攀の目的は果たされた。高度の影響が隊員にもシェルパにも出始める。各キャンプに連絡が取られ、4月24日、全員BCに下ることが隊長から指令された。
 森本隊長の計画は二日〜三日の休養の後、第二期登攀に入ることになっていた。しかし思わざる不運が待っていた。それは天侯の悪化である。
今迄の好天はくずれ、連日ハッキリしない天気が続いた。休養を三日予定していた隊長も、これではと一日一日延し、いつの間にか二週間がたった。
 ラジオ.インディアの気象通報と、ギャルツェンの長年の勘をにらみ合せた隊長は、5月8日大挙して出発、第二期登攀計画を実行した。

↑C3のテント。左の背後の山はキムシュン

 私たちは第一期の行動、荷上量から計算して、第二期計画を次のように設定している。
@C3をアドバンス.べースとし、C5(アタック・キャンプ)の設営に全員(隊員、シェルパ)か当ることにより、C4を使用しない。
AC5から第一次登頂隊を出し、登頂不可能な時は稜線上にC6予定地を決めて下ってくる。
B通信機連絡を有効に使い、第一次隊の失敗を確認すると同時に、第二次登頂隊は行動を開始し、 C6に仮泊し、登頂する。
CC3入りに関しては、長時間にわたる待機によって、ルートがこわされている可能性が大きい故、漸次補修しながら全員交代でこれに当り、目的を達成させる。
DBC,C1にローカル.ポーター五名を二分し、待機させ、BCのリェゾン・オフィサー、K・アマツユア氏には、登攀の経過を定時通話をもって連絡報告する。

            

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