ランタン・リルン登頂(4)

 上空は5000メートル位から上が雲におおわれ、南方ホンゲンドプケのあたりは晴れ、頭上もわずかクレバスの裂け目の如く青空がのぞいている。急にブーンという飛行機のうなりが層雲を通してきこえる。今まで4〜5回BCの上空へ飛んできたマウンテン・フライトに違いない。先日の快晴の時にはキムシュンの側壁をかすめ、C1のテント地にぶっかるかと思うほどの曲芸飛行を見せてくれた。我々への挨拶のつもりだったのだろう。

リルン初登頂

↑ランタン・リルン初登頂。1978年10月24日 午前9時25分

 9時50分、アタック隊の和田から待ちに待った声がとび込んできた。
 「こちらアタック隊、頂上につきました。まわりの山は全部、雲海の上に見えます。東はマカルーから西はマナスル三山まで見渡せます。快晴です。高度は7070メートル。これは高度計がおかしいかも知れません。ここより高い所はありません。チベット高原も見えます。9時25分に頂上に着き、既に必要な儀式は済ませました。頂上の様子、360度のパノラマ、ネパール、日本、トリブバン大学、大阪市大の旗、それから亡くなられた森本隊長、大島隊員、ガルツェン、浅井さん、永田君の写真等々8ミリにて3本とりました」。
 この間、靴のヒモすら結べない殿下(片岡のアダ名)を伴って義本は必死でC2へ下山していた。片岡がまったく下ろうとしないので、シッタゲキレイ、とても交信の余裕なし。しかし、10時40分、義本より「これからブロック地帯の通過、C2まであと二、三時間かかる」と交信があった。
 そして、13時10分、義本と片岡はついにC2に到着。両人ともフラフラの様子である。さっそく東ドクターよりトランシーバーで診察する。保温、水分/糖分の摂取、強心剤および抗生物質の投与。どうやら肺水腫の危険は去った模様。

↑夕映えのランタン・リとポーロン・リ

 13時40分、アタック隊、サポート隊、共にC3に帰着。
……長い長い一日が終わった。アタック隊、サポート隊、救助隊、ルート整備隊、ドクター、いずれもが大活躍の一日であった。雪崩はすっかりおとなしくなり、岩と氷と雪の中で夜が更けていく。今宵は各テントの隊員は何を想い何を考えながら寝袋に入ったことだろうか。ともかく17年越しのランタン・リルンはこうして終った。

                  

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