ランタン・リルン登頂(5)

装備・食糧
 装備は1961年の第一次隊の記録を参考にしたが、当時は、BCからC3までルート工作は7日を要したのみ、フィクスロープも1000メートルを使用しただけで、あとは全てコンティニアスで登れるという容易なルートであった。
 今回、BCからC2までの氷河内の被害が多く、10月5日の雪崩でC1のテントが破られ、支柱が折れた。10月23日にもC1が雪崩に襲われ、テント一張吹き飛ばされ、多くの装備を紛失した。その他、クレバスの激しい変化により、毎日ルート変更を余儀なくされ、すでに固定したロープは放棄せざるを得ないし、セラックの崩壊で多くのロープを失った。
 C3が建設された時、すでに登攀用具が底をついていた。スノー・バー不足のため、BCで木製のスノー・バーを作ったり、ハシゴの連結用ジュラルミン板、そしてテント用の竹ペグを使った。ロープだけは代用がなく、下部のものをはずして上部へ上げざるを得なかった。
 特記したいのは超小型トランシーバーで、パーティ間の連絡に欠かせず、150グラムという軽量でポケットに入り、性能もよく大いに重宝した。

キャンプ1   氷河ルート

左の写真はC1の直上に崩れそうなアイスブロック。登山終了後に大崩壊した。
右の写真はリルン氷河のアイスフォール帯全容。氷河中央のブラックラインに沿ってルートを拓く。
 次いで食糧について報告すると、ベースキャンプでは、石造りのカルカ風のりっぱなキッチンテントが作られ、時々木コリが運んでくる薪が燃やされ、相当手の込んだ料理が可能だった。ちらし寿司、とうふの冷やっこ、サモサやランタン部落より仕入れた七頭の羊の料理などを食べることができた。キッチンは隊員のたまり場だった。
 一方、C1以上のキャンプでは、BCとは対照的に調理の簡便なインスタント食品を用いた。ラーメン、うどん、乾燥米、みそ汁、各種缶詰など12日人日分をダンボール箱詰めしたものをそろえ、その他にスペッシャルボックスとして、日本茶、紅茶、ココア、ようかん、果物の缶詰を各キャンプに配して単調な食事をカバーした。もち、スルメ、干カレイのバター焼きも好評だった。
おわりに
 17年前、氷河の第三キャンプ(5600メートル)で遭難した時の遺品と思われるものが、今回、偶然にも4350メートルの氷河末端で発見できた。シュラフ、キスリング、高所服、オーバーシューズ、下着、オーバー手袋等々。ある物は氷河の上にほうり出され、ある物は氷河にその一部を埋めながら幅50メートルにわたり散逸していた。三人の御霊に私達の庇護を願いながら、登山の合い間に遺品を収集した。今、大町の山岳博物館に収められているそれらの遺品は、二度と遭難を起こさないよう、全国の山仲間に語っている。
<記録概要>
隊の名称 大阪市立大学第三次ランタン・リルン登山隊
活動期間 1978年8月〜11月
目  的 ランタン・リルン(7246メートル)初登頂
隊の構成 隊長=伴 明(38)、副隊長=岡本恒夫(39)、登攀隊長=後藤昌行(31)、
     医師=東 隆(42)、装備・会計=広瀬秀雄(31)、梱包・輸送=和田城志    
     (31)、写真・トレーナー=西村正男(30)、食糧=義本幸一(27)、気象=片岡泰彦(24)、ネパ−ル側隊員=     4名             
行動概要 8月17日カトマンズ着。9月3日キャラバン開始。9月9日リルン氷河BC(4
     250メートル)。9月22日登山行動開始。9月29日C1建設(4820メー
     トル)。10月5日C1撤収。10月9日C1建設(4930メートル)、10月
     12日インゼル尾根にてブロック崩壊による事故で1名骨折。10月15日C2
     建設(5710メートル)。10月19日C3建設(6280メートル)。10月
     23日C4建設(6650メートル)。10月24日9時25分登頂(7070
     メートル)。10月26日全員BC集結。10月30日BC撤収。11月4日カト
     マンズ着。

                       

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