リスカムの端っこに
小笹 孝(1961年卒)
左からリスカム、カストール、ポリックス(シュトックホルンより)
学生時代からスタミナにそれほどの自信が有ったわけでもない私には、山登りも四捨五入で60歳が限界ではないかと、再開する時から思っておりました。それが2年しか残っていないと思うと若干の焦りを感じます。懐具合も考えて、登りたい山の整理をしたうえで確実な消化を図らねば、と感じております。
膝が本調子になったら岩登りのマネゴトもしたいと思っていますのに、なかなかそれも儘なりません。果たして後2年、もつかどうかも判りませんが、行きたい山へ、登れる時に、と願っております。
リスカムは、それぞれ頂上群を持って大きく広がるモンテローザとブライトホルンの間に在って、一段と量感あふれる姿で、多くのハイカーや観光客をゴルナー氷河越しに楽しませてくれております。また、その北面は、グレンツ氷河の上に屹立すること1,000m、クライマーの瞳を惹きつけて余すところがありません。
そんな姿を見上げた時から何故かガイドレスで越えたいものだと思っていた厚かましい私に、国外経験豊かな佐々木君が同調してくれ、今回の山行となりました。
リスカムを越えるのに、東からとするか西からとするかの議論はささやかながら有りました。その際、アプローチにイタリア側を利用することはインフォメーションの不足により当初から除外されており、小屋の利用もイタリア側は検討外のことでした。
結論は西側からです。理由は将に出発点の標高に在りました。
出発点 東=モンテローザ小屋 ≒2800m
西=クライネマッターホルン駅 ≒3800m
両者の高度差1000m。「この差はしんどいでー」となりました。そのうえ、スイス側の小屋だけを利用しての行動には相当な無理が予想されることに起因して、テントを担ぎあげる計画になったことからも、この高度差は物を言いました。
8月9日 晴のち曇一時雷 終日強風
クライネマッターホルン駅8:50−10:50ボリュックス南西岩稜末端11:00−14:30フェリクヨッホ(テント泊)
ブライトホルンパスまでも皆様のお見送りをわざわざ頂いて勇躍出発したわけですが、ウオルターの注意が忽ち現実となって現れてきました。昨年、アイガーのミッテルレギ稜を楽しくリードしてくれたウオルターとクライネマッターホルン駅でラッキーにも邂逅し、束の間の再会を懐かしんだその際に、「リスカムは今日は非常に風が強いゾ」と、注意してくれていたのです。
カストールの登りにかかる頃には全く厳しくなり、しばしば立ち止まっては耐風姿勢で強風をやり過ごさねばならない状況で、頂上直下のナイフリッジは短いながらも気色の良いものではありません。
漸くフェリクヨッホに着いたものの、設営位置の雪を踏み固めながらも無事に張れるかが心配でした。ともかく、吊下げタイプの二人用テントを風の方向に合わせて広げ、風上側を一人が全身で押さえ込み、それと同時にザックを中に放り込んで、忽ちには吹き飛ばされない段取りを取ったうえで、ようやくテントを起こし、次いで四隅のペグを固定、最後にポール中段の張り綱を設置しての設営完了に小一時間も要していました。
風に倒されないためには絶対に必要な頂部の張り綱を、風の向きも強さも絶えず変化する中で適切な長さにセットする作業は、まだ他の一切が固定されていない段階での作業となるだけに随分と骨が折れるものでした。もう喉もカラカラ。林檎囓りたいなー。
折角差し入れてもらった林檎を、身支度が終わったらザックに入れようとしていた矢先に風に持っていかれてしまった出発時の油断が悔やまれました。
小さく黄色いテントが見える。
フェリクヨッホから見たリスカム西峰
8月10日 嵐一時雹のち晴 沈殿
昨夜はイタリア側から一晩中吹き荒れ、宵のうちは雷が、明け方近くには雹が叩きつけて、地吹雪と共に騒がしい一夜でした。少しでも足しに成らないものかと、風上側を頭で突っ張っていると、バッサバッサとテントが顔に幡めくものですから熟睡なんてとても出来ません。
10時頃には漸く風も収まり晴れ上がってきましたが、出発するには遅く、睡眠不足もあって沈殿と決めます。幾組かのパーティーが通り過ぎていきました。此の様な地点での幕営が珍しいものと見えて、「ヒマラヤみたい」と冷やかしていくのも居りました。
カストールを越えてくる連中に「今日は何処まで」と尋ねると、何れも「クィンチノ・セラ小屋へ」と返ってきます。フェリクヨッホから小屋までは1時間もかからないとのことです。雪屁を気遣いながら、容易にイタリア側を見下ろせる位置まで出て行くと、丁度そこは主稜線からセラ小屋への下降分岐点です。なだらかにフェリク氷河下端に位置するセラ小屋とトレースがはっきりと見え、なるほど1時間もかかるまいと納得できる景観が眼下に広がっていました。
またさらに、小屋からの別のトレースがリス氷河に向かっており、クレヴァス帯のすぐ上流(リスカム南面岩壁帯の下方200m付近)を大きく迂回して、リスヨッホやニフェッティ小屋へ通じるものと思われます。そのトレースを両方向に移動するパーティーが夫々数組有り、リスカムの稜線を避けた迂回路がかなりの人数を集めていることが伺えます。
一方、今日一日でカストールを西から越えて来たもの7組、セラ小屋から越えて行ったもの1組、同じく小屋からカストールを往復したもの一人を数えましたが、どのパーティーも小屋を利用している状況です。
セラ、ニフェッティ、マントヴァ、さらにはマルゲリータからモンテローザに至る一連の小屋は、リスカムやモンテローザに対する利用価値が極めて高いことを実感し、勉強不足を痛感したものです。
ところで、強風が未だ吹止まないうちに各所の小屋を出立した人たちが多いにも関わらず、リスカムには向かう者や、越えて来たものは誰も無く、トレースは全く有りません。
さて、我々の明日の行動を如何にすべきか。一抹の不安が掠めました。
トレースが無い時の東峰からの下りはシブイだろうなー。
デュフールシュピッツェをショートカットして、グレンツ氷河を下るとしても一日遅れになる可能性は高く、昨日の天候を思えば皆に心配を掛けるだろうなー。
実力不足を棚に上げての結論は『西峯往復。出発地に戻る』でありました
8月11日 晴
テント7:05−9:00リスカム西峯9:20−10:35昼食・撤収12:15−14:30ポリュックス南西岩稜末端
14:40−16:10ブライトホルンパス16:20−16:50クライネマッターホルン駅
仄かに明るくなった5:30。慌てて寝袋からはい出しテントの入口を開ける。赤く染まった雲に頂部をわずかに隠したテッシュやドムが美しい。
昨晩は風もなく、ぐっすり眠り込んでの大失敗。既に2組がテントの先をリスカムに向かっていました。大急ぎの朝食をとり、片付ける暇もなく出発した時には5番目です。
今朝はかなり冷え込んで、テントの内面が真っ白に凍りついていましたが、雪面もよくクラストして実に歩き易い。泊地からの出だしは雪の主稜線をほぼリッジ通しに進む。主稜線上に岩が現れてくる4,200m付近から急激に傾斜を増してくると、トレースは岩の主稜線を離れ、支尾根に向かって左上してゆきます。支尾根が間もなく主稜線に吸収されると傾斜も落ち、やがて西峯頂上が足下となりました。
お互いの勇姿を残り僅かのフィルムに大急ぎで収め、新たに交換するべくザックに手を突っ込むが、フィルムが無いッ! 何で無いの? 前後の行動を反芻し、子細を思い出したところで何の役に立ちません。網膜にやきつけとこーっ。
北側は足下深く切れ込んだグレンツ氷河の向こうにモンテローザ氷河、ゴルナー氷河が遠く広がり、ミシャベルの山々に続く白と黒の世界が視野を支配するのに対し、南側は小さな氷河を介して、すぐそこまで暖かそうな緑の谷が近づいている印象を受けました。
東方は、グレンツ氷河の最奥部をモンテローザ山群が半円状に取り囲み、主峯のデュフールシュピッツェ南面には数本の側稜が、高度差400mを黒々と際だたせています。西方はモンブラン山群が遠望でき、マッターホルンも折よく浮き出ていましたが、それから北に連なるマッタータール左岸の山々が雲の中。
展望を存分に楽しんだ後は、声をかけ合いながら慎重に降りにかかりました。支尾根付近は氷の上に雪を被った状態のところが多く気が抜けません。また10時頃になると雪が腐ってくるので尚更です。
テントに帰着すると直ちに撤収作業。嵐に対処して深く固めたペグの掘り起こしは実に難儀です。折れ曲がったポールが昨夜の風の強さを物語っています。設営同様に1時間もかかりフーフー吐息。4,000mオーバーの高度の影響を二人とも感じておりました。
今日は風が無く、カストールも容易に越えて先を急ぐ。
撤収に手間取り、最終ゴンドラ(17:05)には間に合わないかも、と危惧しながらの出発でしたがツヴィリングスヨッホまで来れば先が読めます。急げば間に合う。飛ばそう。
何時も追い抜かれている欧州人の、後続パーティーとの距離をほぼ保ち、遠く先行パーティーとの距離は僅かに縮まったかも。
往路では僅かながらも下方向に飛び越えたヴェラ氷河のクレヴァスが帰路には上向きとなって、ほんの僅かの落差にもかかわらず思わず慎重になってしまいます。
汗だくになってブライトホルンパスまで戻りました。あと30分。間もなく終了です
1qの頂稜をもつ大きなリスカムのほんの端っこに登れただけの今回でした。大きな楽しみが次回に残りました。
『デュフールシュピッツェに繋げる魅力的な縦走に、心も軽く荷も軽く、次回は小屋泊まりで行ってみましょう。いいでしょう?』
『そんなこと誰に言うてんねん。それよりも、次回、次回で、歳とらんよー。よう自戒せーよ。』
蛇足1 アルプスはテントよりも小屋
荷物が相当に軽くなり、行動中のミスにも対処し易くなる。重荷では無理かも。
相互の位置関係も小屋の利用のみで行動可能な山域が多い。
小屋は、日本のそれよりも遙かに快適で、かつ安い。
蛇足2 ガイドレス
必要条件
実力有るか。技術も、体力もやデー。
情報収集力有るか。色々判ってんのか。知ってんのか。
気力有るか。ちょっとやそっとでへこたれん気力やデー。
不足を実感してきました。スンマセン。ベンキョするてしおらしいこと言うてもあんまり先は無いんやデー。
ガイドの効用は非常に大きく、ガイドレス登山に比べ、対象の選択範囲は格段に広く、時間効果も大きくなることは確かです。
「仲間達だけで登る」ことの楽しさや意味づけとの兼ね合いも含めて、判断に迷うところです。
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