2000年マッターホルン登頂(1)

藤村達夫(1966年卒)

マッターホルンはそのの秀麗な姿ゆえに多分世界でもっとも知られた山と思われる。
まさに山の中の山(THE MOUNTAIN OF MOUNTAINS)、 もっともマッターホルンも見る方向により随分違った形をしており、一番美しく見えるのがスイスのツエルマットの町から北東稜(ヘルンリ稜)を正面にした角度。我々が見慣れたマッターホルンである。

この北東稜は1865年英国人のエドワード ウィンパー一行とガイドにより初登攀されたが、下山途中7名中4名が死亡した。ザイルが切断され3名が命拾いをした。その歴史は山登りをしない人でも岩波文庫の「アルプス登攀記」で知る人は多い。

私がマッターホルンに登りたいと登山の対象として思うまでに多分10年位の時間が過ぎた。
最初に、日本の風景から信じられないようにきれいな、ツエルマットの町から眺めたその頂きは、写真で見慣れていたと言え、まさに自分の中にある山と言う概念を根底からぶち壊すほどのショックを与えた。
またその圧倒的な高度差2850M、こんな山に登れると思いもしなかった。
(ツエルマット海抜1620Mマッターホルン4478M)硬そうな岩の塊の三角錐と壁にこびりついた雪だけの山。鮮やかな青空に突き刺さった、その頂きは槍ヶ岳とくらぶべくもなっかた。
ツエルマットの駅前
ツエルマットの町は原則ガソリン車禁止。一般ガソリン車は10KMほど手前の町TASCHの駐車場に留め置き。観光客、登山者は電車でツエルマットに入る。駅からホテルへは電気自動車、徒歩、超高級ホテルは馬車。
学生時代の山岳部活動から約20年のブランクが有り、体重も10KG以上増え肉体的にも本格的登山に耐えるものではなかった。私を再び山に連れ戻してくれたのは昔一緒に山に登った山仲間。北アルプスの残雪期、夏山にぼちぼちついて行くようになる。


暫らくして、1996年佐々木先輩の案でモンブラン、マッターホルン、ダブル登頂の計画が出来、私も参加した。2ヶ月ほど前から慌ててスポーツクラブで筋力トレーニングを始めたが急に負荷を掛けすぎ肩を痛め、納得の行く準備をせずにモンブランに出発。グーテ小屋への岩稜登りでへばり、同行者よりはるかに遅れる。結果はその翌朝天候悪くガイドの判断で登頂断念。
またそのあと、マッターホルンもだめ。1996年7月。

1997年8月再度挑戦。モンブランには大島、福山、がガイドなしで。
私はガイドとともに8月12日4807Mの頂上に立つことが出来た。
また、小笹先輩、佐々木先輩、山田はマッターホルンに登頂。

私自身の2回のアルプス登山と山仲間の登頂でマッターホルンが次第に登山の対象として自分に身近なものになってきた。

                

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