モンブラン登山 随想
大島一恭
『お盆休みにスイス往復15万円で行けるけど、どや』と佐々木氏より声をかけられたのは今年の総会の席上であった。福山と二人で本年の公式行事計画にスイスアルプス行を立案していたが、予算・休暇の面よりダメかなと思っていた矢先、お盆休みに、15万円+α(スイス国内移動費、滞在費=キャンプ代、etc)min20〜max25万円位で行けそうと瞬時に試算、『行きます』と即答してしまった(実際は30万弱かかった)。昨年の敗退よりモンブランに執念を燃やす福山・義井に便乗の大島を加え貧乏3人組はキャンプ・ノンガイドで参加を即決。佐々木氏は他のメンバー集めに精力的に動き出すが、格安航空券の為、直前のキャンセル等相当苦労されたようである。
駒ヶ根山荘の建設・開所式と多忙の中、空木岳往復(高度差1600〜2000mの往復)、富士山頂泊(高度順化)等トレーニングを重ね、参加メンバーが最終決定、結団会が実施されたのは出発の2週間前、先発組出発の2日前であった。
8月8日、関空より約28時間をかけ翌9日シャモニ郊外の閑静なキャンプ場(リル・デ・バラ)に着、モンブラン、エギーユデュミディ、シャモニ針峰群、グレポン、ドリュを南に、ブレヴァンのロープウエイを北に展望でき、温水シャワー・清潔なトイレ、愛想の良い親切な管理人等文句無しである。佐々木氏はここでも有名人であった。(@27ff/1人+@21ff/テント1張/泊、1ff=約20円以下同じ)。
10日早朝、シャモニ組全員でミディからエルブロイネルへ氷河の上をロープウエイでわたる。天候に恵まれ遠くモンテローザ・マッターホルンも見え、エギーユヴェルト・ドロワット・タキュル東面・グランドジョラス等そのスケールの大きさに圧倒される。ここで氷河上に降り立ち高度順化の為2時間程ワンデリングをする。夕方ガイド組合にて久保田・藤村両氏のガイドに紹介されるが、我々3人組は両氏のパーテイとは一切関係ないと言われ、それもそうだな、と妙な納得をする。義井君のアイゼンの前後ジョイント部が破損、修理に出し8時に来いと言われていたので店に行くが閉店、誰も居らず。顔面蒼白、パニクルが明日の開店を待つしかなく、早朝の出発は無理、これでガイド組とは完全に別行動となる。
11日開店を待ちわび飛び込むが、修理完了9時半、これから出発してもグーテ小屋は夕方、昨日の天気予報では悪化の兆し、明日出発とする。ワインを買い込みロープウエイでブレヴァンへ昼から酒盛り、義井君自棄飲みし過ぎて下山後シャモニの駅ベンチでダウン、大島・福山は散策、ダラダラと過ごす。夕方予報通り夕立、慰められる。
↑テートルース小屋
12日勇躍ラーメンをカッコミ(朝食はずっと日本から持ってきたラーメンであった)7時始発のレズーシュ行きのバス(15ff)へと急ぐ(キャンプ場よりシャモニの中心へ約15分
…何度この道を往復した事か)。ロープウエイ(66ff往復)・登山電車(64ff同)と結構待ち時間がありニーデーグル(2372m)に着いたのは9時だった。ノンガイドの気安さと下痢の酷い大島(チーズか牛乳かチーズフォンヂュの食べ過ぎか)のスローペースによりテートルース小屋(3167m)まで約3時間、日本の夏山の稜線歩きの様な感じの登りである。ここより急登が始まり、200mHで大クーロワールのトラバース大急ぎで渉りきる。下山中の日本人パーテイが渉っている時大きな落石がありアワヤの感であった。グーテ小屋直下の尾根をグングン高度を上げるが結構きつい(富士山の9合半の胸突八丁が500mH続くと思えばよい)、要所には全て固定ザイルが付けられており、ルート上に雪はなかった。約3時間半でグーテ小屋(3815m),富士山より高い。ゆっくり登ってきた(6時間半)のであまり疲れはない(標準時間は5時間)。本日アタックを終えられた久保田・藤村両先輩の出迎えを受け、名物カフエオーレをご馳走になり再会を祝し、参考情報を頂く。当初我々はベッドが予約できず(予約はガイド連れが優先)食堂床に寝なさいと言われていたが、新館の2人分のスペースに3人分の毛布を貰える事となった。(@231ff/1人泊)
13日2時起床3時出発。昨日アドバイスを受け、昼食・水・カメラのみのザックを義井が持ち、残2人は空身、冬山完全装備にてアンザイレンする(ツエルト・セータ・非常食等余分な物は一切持たず、そういう状況になれば即引き返せとの事)。小屋の上のエギーユデユグーテ(3863m)に登ると、遥かドームデユグーテ(4304m)まで真っ暗な中を延々とヘッドランプの列が続いている。余り寒くはなく汗をかくぐらいだが義井トップで黙々と登る。雪は堅く全くもぐらず、アイゼンが良くきく。ドームを過ぎるあたりで夜明け、ヴァロ避難小屋 (4363m)で小休止とするが寒い、足先がジンジンしオーバ手袋をはずすと手も冷たい、-10度位か。クラッカーなど食べる気にもなれずゼリー状のエネルギーインを飲む。寒さの為早々に出発、ここまでは広い尾根(ガスるとヤバイ)を登ってきだが、ボス山稜に入ると稜線は細くなり、両側も切れて、雪もより堅くなる。慎重に登ってゆくが、ヤバそうな斜面はバケツが掘ってあり、アイゼンが非常に良くきき(雪と氷の中間の感じ)不安はない、但しピッケルはシャフトは入らずピックが10p入る程度である。ミデイからも良く見えていたコブを2つ(グランド・ボス4513m、プチト・ボス4547m)越し、更に急登を続け、稜線が一層細くなってくると頂上だった(4807m)8時半快晴、3人で抱き合う様に握手する。
頂上は広く、モンブラン山群は全て足下に見えるが、マッターホルン方面は雲海の為不明であった。高度の影響か頭痛が酷く、一刻も早く下山したい気持ちが強く、頂上に憩いはなかった。10分程で記念写真と回りの写真を取り即下山。4500m位まで下がるとやっと回りの山々を楽しめる余裕ができ、のんびりと大休止。今日は小屋で一泊と考え景観を楽しみながらゆっくりと下るが雪が腐ってきて結構しんどい。昼過ぎ小屋に戻り宿泊を依頼するが、下山しろ、小屋は混むし今の時間なら登山電車の最終に充分間に合う、皆そうしてると言う。ここは語学の達者な義井君の出番である、折衝相手を女性に変え、OKを取る、さすがである。但し、又食堂の床に寝ろと言う。昨日と同じく新館で寝れるとたかをくくる(実際そうなった)。夕方雷となり雨かと思ったが雪と霰であった。同席となった仏4人組と国際親善をはかり大いに盛り上がる。内1人は大阪に半年程居た事があると言う、世界は狭い。4回このグーテまで上がって来てるが天候体調等の理由でまだ山頂まで登れないとの事、成功の確率は3割と言われている。確かにこの山は天候次第である、先ほどの1時間ほどの夕立にしてもこの高度では吹雪だ。4500m以上でやられたらひとたまりもない。またこの小屋の外にでて、雷に飛ばされ亡くなった方も何人もいるとの事。
14日1時半に部屋の電気がつき登頂組は起床出発であるが、我々下山組(他にも何人かいた)は7時半起床である。大島のアイゼンを修理してもらう(前後連結金具のビスが抜けて無くなっていた)、ここに同じサイズのビスがあり助かる。昨日の雪と霰はそのまま融けずに残ってるがアイゼンは付けず、固定ザイルにカラビナを架け慎重に下る。大クーロワールの手前でアイゼンを付けアンザイレン、福山・大島の順に義井はワイヤーにカラビナを架け移動ジッヘルで渡る。外人からナイスジッヘルと言われ義井君大いに気を良くしてる。端の黒氷の所でもたもたしている女性の1m横を大きな落石が飛んで行く、恐ろしい所だ。テートルースで大休止、ここからは家族連れも多くボンジュール・グーテンタークと言葉を交わしながら下る。家族思いの義井君は子供連れには必ず声をかける。ヴェルビューで中間祝杯をあげ、シャモニに戻り、バス停留場横の観光案内日本コーナーのミセスヴェネヂクト津田に無事下山の報告をする。久保田氏のホテルへ寄り、4人でキャンプ場にてシャモニ最後の夜をささやかに祝う。
15日さすがに疲れていたのか飲み過ぎたのか寝過ごし、朝飯抜きで迎えのタクシ(1500ff)に乗り込み一路ツエルマットへ。昼前にキャンプ場に着き、伝言メモと佐々木氏心ずくしのご飯を頂く。上田嬢の案内でゴルナグラード観光とハイキングを楽しみ、夕方全員再会、佐々木シエフのステーキデイナーでスイス最後の一夜を楽しく過ごす。
記録 8/12 快晴 ニーデーグル9:00ー11:40テートルース12:20ー15:40グーテ小屋
8/13 快晴 小屋3:10ー6:20ヴァロ小屋6:40ー8:30頂上8:40ー12:50グーテ小屋
8/14 快晴 小屋8:40ー12:00テートルース12:30ー14:40ニーデーグル
雑感 多くの方に御世話になりました。親身に色々相談に乗ってくれた案内所の津田女史、登ったよと言っ
たらすごく喜んでくれたキャンプ場の管理人、いつも「大島さんのー」と大声で食事を運んでくれたグー
テ小屋の従業員…有り難う御座いました。
義井君、ザイルのトップで我々を引っ張ってくれました。福山君、山に対する執念を感じさせてくれまし
た。有り難う、お陰様でモンブランが登れました。
佐々木氏、最高のツアーコンダクターです。又楽しい企画をお願いします。
|
|
Copyright 2007 Osaka City University Alpine Club. Allrights reserved. |