ヨーロッパの 高くて 白い山

−モンブラン 登頂 ・ 1997 夏−

藤 村 達 夫(1966年卒)



アルプス山脈中の最高峰 モンブラン( Mont-Blanc 4,807m)に53歳8か月の私が登ったということは、それなりの価値があると思う。フランス・イタリア・スイスの国境にそびえ、山岳氷河が見られる8月のモンブランは、いわゆるヒマラヤの高峰のように登山の対象として格別の意義がある訳ではないが、かろうじて体力を維持しつつ、人生の喜びの一つとして50歳を過ぎて4,807mのピークに自分の足で登れたのは、嬉しい事である。日常生活においては超えなければならない障害が多いからだ。仕事のやりくりは言うまでもなく、大袈裟に考えたら、それこそ、人生観そのものにかかわる問題をも含めて、あれやこれやで、自分では登って良かったと思っている。
実は、モンブランには、1996年7月に一度トライしたが、悪天候の為、3,817mのグーテ小屋より引き返している。私はこの時、これまでの山登りの中で一番シンドイ山登りを経験した。プロのガイドと一緒だったから生命の心配はなかったが、とにかく体力的にはキツかった。それはトレーニング不足に起因するものである。そこで、翌1997年8月の盆休みに再度挑戦しようと決意し、8年位前より続けている週3回平均の500mクロール泳ぎに加えて、週2〜3回の3,000mほどのジョギングで脚力を鍛えた。一応のトレーニングを積み、さらに6月には中央アルプス空木岳での1,500〜1,600mの高度差日帰りトレーニング。そして7月にイランに出張した時には、2日間の休暇をとり、ダマバンド山(5,600m)の5,000mの高さまで登り高所体験を重ね、満を持してアルプスに向った。
同行者は大学山岳部OB仲間で、私より4歳年長者、及び私より5歳年下2名とその友人1名の計5名。年長組は各一人にプロガイド1名、40歳代の若手3名はガイド無しで別行動。
ジュネーブ経由でシャモニーに入り、ガイド協会でガイドと面会、登山用具点検を受け、天候をチェックし、出発日を決める。私たちのルートはグーテ小屋経由の最もオーソドックスな夏ルート。
<アルペンガイド「アルプス4,000m峰登山ガイド」(山と渓谷社)参照>
ガイドの車でロープウェーの駅へ行き、登山電車を乗り継いで、ニーデーグル(鷲ノ巣)2,386mより登山開始 。前年は7月でもあり、ここからアイゼンが必要だったが、今回8月中旬はアイゼンは不要。2時間余りでテートルース小屋(3,167m)に着く。そこからグーテ小屋迄さらに高度差650mの登りが、私にとって最大のポイント。ほぼ3時間の登りはきつい。危険な所はロープやクサビのホールドがあるが、槍の穂先や奥穂高の登りを連想させる岩稜登りが延々と3時間続く。

フランス人のガイドは「休むと疲れるので、立ったまま休め! そして続けて登れ!」と言う。二度目のグーテ小屋だが、なんとか頑張って辿り着く。大きなボウルで出してくれた熱いカフェオーレが実に美味しい。
小屋のテラスから望めるモンブランのピークに、夕陽が映えて美しい。シーズンの8月だけに2〜300人の登山者で超満員である。 人いきれで暑くてよく眠れない。 外は勿論氷点下である。小屋の高度(3,817m)は体調によっては高度障害が出る位置にあり、私の先輩は頭痛や吐き気に悩まされた。

翌朝2時、天気が良く、小屋の人が全員を起こしてくれた。朝食後、少し遅れて3時半頃出発。アイゼンを付けての完全冬山装備。ガイドとアンザイレン。アイ[ンの爪が完全にささる快適な雪上歩行。満天の星を背に黙々と、ひたすら、ゆっくり、一歩一歩。稜線では風が強い。やがて太陽が雲海に顔をだし、遠くマッターホルンをはじめ、ヨーロッパアルプスの全容が眼下に広がる。つらいつらい登行に耐えながら、やがて、出発後5時間ほどでピークに到着。ヨーロッパ大陸を眼下におさめる事になる。天気が申し分なく良いのだが4,807mのモンブランの頂上は、あまりにも風が強くて長くはおられない。

    

頂上まで無事に来られたと言う満足感はあっても、下りを思うと気が重い。グーテ小屋迄2時間を慎重に、一気に下る。普通はさらにシャモニーまで下山のコースであるが、我々は敢えて、グーテ小屋にもう一泊して、翌日に嫌な岩稜を下った。
今回は外国の山でもあり、シャモニーガイド組合のプロガイドを雇ったが、私共の技術レベルでモンブランに登るには、ガイドを付けるべきである。ガイド達は正にプロで、古くは、アンナプルナ登頂隊 (当時、世界最初の8,000m峰登頂) の中心メンバーがプロガイド達であった。アンザイレンし、一応、ガイドに命を託する訳で、それなりのコミュニケーションがあり、フランス人気質の一端が分かり、面白い。シャモニーでは3日の滞在期間があり、2日間が行動できる天候であれば、ガイド付きでモンブランは登れる。最終的にガイドが頂上まで行くか止めるかの判断を下す。それでも、毎年かなりの犠牲者があるとも言われている。
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