エクアドルに行きました

藤村達夫

日本からは地球の裏側に近い、エクアドルの首都キトーに行きました。
スペイン語の国名の通り、赤道直下に有りますが、キトーは海抜2800mに有り、
気候は年中比較的安定、極端に暑くも無く、寒くも無し、紫外線は強い。

ガラパゴス諸島はエクアドル領内。海抜0メートルから最高6310mのCHIMBORAZ山まで高低差が変化を与えています。
農産物、海産物は大変豊富、牛肉も安くてうまい。

なんでエクアドル?

縁があってエクアドルのキトーに行きました。
多分、7−8年前、大阪に出張で来ていたエクアドルの外交官とサウナで隣り合わせになり、彼は20歳も若いのに、何となく話が合い、出会ったその日に彼が家に泊りに来た。誘う方もさる事ながら、なんと気楽な外交官や。エクアドルといってもスペイン系と言えば納得、さすがラテンや。在日エクアドル大使館一等書記官。
そんな訳で、友人として交流する内、日本人との結婚式に呼ばれるは、彼の母、妹が我が家にホームステイしたり、私の娘と姪がエクアドルの実家にお世話になったり、また、彼の姪が我が家に二ヶ月居候。スペイン語、英語しか話さないのが二ヶ月居座って、家内が参り、ついにお引取り願った。等々の間柄に発展。

  

↑友人のフェルナンド夫妻

三年前に友人の外交官フェルナンドが日本駐在を終え、日本人の奥さんを連れて本国に帰った。たびたび、遊びに来るよう誘われるが機会無し。処が今年になって、二ヶ月居候したフェルナンドの姪、名はベレン、が首都キトーで結婚式をあげるので家内ともども是非出席しろと。

日は4月27日、フェルナンドからも是非来てくれ、そして家に泊れと、ありがたい。
招待状が着いたら、家内は一人でも行くと言い出した。
丁度ゴールデンウィークにあたり、チャンスとして意を決しました。
エクアドルの結婚式

インターネットで日本発エクアドル(キトー)行き飛行機を調べると、アメリカン航空マイアミ経由が安い、一番安いのが157,000円、近くのJTBが170,000円、連絡の利便性を取り、
JTBにて。行きはシカゴ、マイアミ経由、帰りはニューヨーク。(後でユナイテッド航空が
ヒューストン経由でなお便利と知る。)お陰でマイアミ、ニューヨークで一休みできた。
安切符で長時間飛行はつらい、エコノミークラスシンドロームを避けるためにも。

4月25日20.33pm、かなりの雨の中、海抜2800Mキトーに到着。実に飛行時間は述べ20
時間を悠に超える。夜にアンデスの山間の盆地に有る空港への着陸はスリリング。
空から見れば、首都とはいえ随分薄暗い、その中で一際明るいのがサッカー場で、雨中にも拘わらず満員であった。エクアドルはワールドカップに出場する。

乗客のエクアドル人は例外無く、我々のスーツケースの3倍は有るキャンバス製のかばんに一杯のアメリカ土産(あるいは買出し品)を持ち込んでいる。経済的に豊かな国で帰国者がそれぞれこんなに沢山荷物を持ち込む国は無い。私の知るイラン、インドと同類項。
聞くと3年ほど前に、国家経済が破綻して、自国通貨は有名無実、国内で通用するのは米ドルのみとか。
国家財政の50%は石油収入に依存、3年前は原油価格が暴落していた、3倍の今は良いのか。
アメリカ系の新しいマリオットホテルに当宿、このホテルで披露宴が有る。その後フェルナンドの家に世話になる予定。二人で朝ビュッフェ付き90ドルは安い。

↑エクアドル最古の教会の前  と花嫁とその父

さて、結婚式は現地最古の教会で、日本でもおなじみの教会結婚式、コーラスがいわゆるアンデス風で楽しかった。処が後の披露宴がすごい、2時半頃から食事を済ますと、真中のスペースで先ず、花嫁と親父がダンス、花婿にバトンタッチ、そして、花婿の親と済むと、参列者が入り乱れて延々4時間位、夜の8時頃までダンスに興ずる。
花嫁の親父は70歳くらいなのに嬉々として踊り狂っていたいとしか云えない。
聞けば嫁さん五人変えたとか、元気や。

   

COTOPAXI(5897M)世界一高い活火山

佐々木先輩の登ったエクアドルで最高(6310M)のCHIMBORAZOをと思ったが、エクアドル滞在時間が短いのでCOTOPAXIを薦められる。急いで調べると、現存する世界一高い活火山で富士山型の美しい山であった。

4月27日
私の友人の学友、プロのガイド,XAVIER,NISSANの四駆パトロールの運転手を兼ねて、若きクライマー、GASPARも同行。冬山並みの装備(日本より持参)の点検を受け。3時40分QUITO出発。途中スーパーマーケットにて、二日目の夕食、朝飯、行動食を買い入れ
る。

GASPARは今年の夏、ヨーロッパアルプスに出かけるらしい、車中、レビュファの星と嵐、エルゾーグの処女峰アンアプルナ、アイガーの白い蜘蛛等の話が続く。19時頃、3800MのTAMBOPAXIに有る、ホテルと山小屋の中間のようなヒュッテに到着。

比較的新しく、木をふんだんに使った快適な山小屋。二食付きで外人は一人USD.45食事の質、快適さからして安い。この夜は小屋番のンハンサムボーイと我々3名のみ。
4月28日
朝早くは天気良く、山頂がくっきり見える。
9時30分、朝食後、広大な裾野を高度馴化のため二時間ほどLIMPIO PANGO 湖まで、トレッキング。幸い何の変調、頭痛も無し。そこから迎えに来た日産パトロールで避難小屋したの車止め迄ドライブ、小一時間ゆっくり歩いて、4800Mの避難小屋、REFGIO JOSE RIBAS S.S.に入る。小屋番の若いインデオ二人。
昼食後、近くの氷河で雪上訓練、シャモニーのグランドジョラスに行く若きガイドはアイスピックを持ち出した、氷壁登りをはじめる、自分は早々に断った。

   

4800Mの高さでも南側はアマゾンの湿った空気で雪が多く、氷河が有る。
17時45分小屋に帰り、ガイドが作ったパスタを食べる。甘い紅茶もたっぷりと。夜、トイレに行くと満天の星、ついている。

頂上目指して

頭痛、吐き気は無いが、寝苦しいまま、深夜0時頃になった、 寝袋でごそごそしているとXAVIERが起きるという、急いで、紅茶に、クッキー、乾しぶどう、胡桃、アーモンドのナッツを流し込み、12時45分出発。ヘッドランプで歩き出すが暫くして、消して月明かりで十分と分る。ガイドの足元を見て、彼の月影を踏みながら、我慢の登行。溶岩、火山灰の砂礫で足元が定まらず、ロスがはなはだしい。
富士山と同じ、二時間ほどで氷河のトラバース地点、丁度5000Mの高度。少し下あたりから、雪線となるが、以前より随分押し上げられたらしい。
さすがに空気は薄く、下をむいてアイゼンをはくのに大事、何度も上体をあげて、思いきり空気を吸う。随分エネルギーと時間を消耗した。
ワンタッチアイゼンの必要性痛感。アンザイレンもここから、なるべく、息切れしないよう、ゆっくり、ガイドの後を、雪壁、雪面を、クレバスを避け、時にはブリッジを渡り、高度を上げる。
溶岩の砂礫よりはるかに歩きやすいが、次第に息苦しさが増してくる。高さゆえ雪の量は圧倒的に多いが、ひたすら下を向いて歩くだけ、苦しい。
一呼一吸、が二呼二吸になり、三吸一呼で一歩、歩くたびに一休みする。アイゼンも効き、技術的に難しい事も無い、快晴の好天、やがて6時過ぎに地平線から太陽が昇り、日光が月光にとって変わった。

↑5500M付近での日の出                ↑5600MくらいのBLACKROCK

独立峰で有り、後ろ振り向けば、はるか彼方まで素晴らしい眺望、ガイドがエクアドルアンデスの説明をしてくれるが、認識の余裕無し、おれはこのサミットしか興味は無いよと。
そのうち、歩くより、休む時間が多くなってきた、吸えども吸えども空気が入らない。頭上にはソフトクリームのようなもっこりした、稜線が視野に。硫黄性ガスの匂いがする、ガイドは頂上が近い、臭うやろと、自分はガイドが屁をしたと思った。

   

   

↑頂上直下の大雪面               ↑もうバテバテの藤村

しかしこの頃、もう体力は尽きていた、頂上直下の200Mくらいの雪壁の途中ガイドは確保し、私が休む為、腰掛のタナを掘っ呉れた。8時45分、時間がかかりすぎていた、雪も緩み始め、ステップは定まりにくく、一歩あがって、半歩後退、余計気力が萎えた。ガイドはもう少しだからがんばれと、何度も励まして呉れたが、くだりの事を考えた。
ガイドに聞くと高度5700M以上と。私の最高到達高度。

高度順化


1998年の5月に、ネパールのカラタパール(5545m)に行ったときは、エヴェレスト街道のスケジュールに従い、一日500−600mの高度を稼ぎながら、ゆっくりした日程で、自分の記憶では最後の丘登りもそんなに苦しくは無かった、ただ、夜、体を横たえると咳が止まらず、まともに眠れなかった、また咳のため、同行者に迷惑をかけた。
今回は5000mまではほとんど影響無く、5200−5300m以上で急に体が動かなくなった。
ガイドと話したが、基本的に時間不足により、高度馴化不適応、5897mのCOTOPAXIに楽しんで(余裕を持って)登るにはやはり4−5日が必要、先ず、5000m以下の山に登り、一旦下山して、それから5500m以上の山を登るのがよいと。
結婚式参加が主目的の付けたし登山、やはり5897mを侮ってはいけない。
4800mの小屋で登山者名簿をみたら、ほとんど20−30歳、私のガイドは38歳、自分一人58歳6ヶ月。昨年10月末に、左膝半月板の手術を受け、以前より、トレ不足、体重3キロ増。山は甘くなかった。

深夜、0時45小屋を出発、ほぼ満月の下、丁度5000m高度位でアイゼンをつけ、ひたすら頂上を目指し、やがて、彼方の雲海に日の出を見るまでの6時間は、今、その時の苦しみは消え去り、なにものにも変えがたい至福の時間。青白き静寂の空間が、太陽の光に燦燦と輝き、雪面の温度が上がり出した頃、登山を終えた。(ガイドは後少しだから、行けるといったが、自分には限界)
消耗しきって、4800mの小屋にたどり着いたのはそれから2時間半あと。

ガイドにCOTOPAXI(5897m),CHIMBORAZO(6310m)モデルプラン聞いたら、合計現地10−12日間必要。


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