南極半島クル−ズに行って来ました
長谷川ふみ子(1961年卒)
『南極クルーズ』は友人宅で見た南極半島のスライドが忘れられなくて、何時か行ってみたいと温め続けていた夢の1つだった。山の仲間からは「何?それ」と馬鹿にされそうだが……
ただ一つ自信があった体力にも最近かげりが見え始め、世界中行きたいところが山ほどある中から、先ず体力を必要とするところから優先順位をつけて、時間切れにならない内に出来るだけ沢山行ってみたいと考えていた。それで最近インド、中国、エジプト、モロッコ等行って来たが、やはり南極はひと味違ったものだった。
マリン・エクスペディションズが企画したツアーで、2月5日出発、2月18日帰国の2週間の旅。南極での実働は3日間。(南極は12月から1月が夏で、2月は秋。3月から10月は冬期で船で南極半島に近づくことは不可能。)
デンマーク船籍(乗客90名位)、乗組員:北欧人、ツアースタッフ:アメリカ人、コック:フィリピン人、乗客:日本人の構成で、クルーズは南米アルゼンチンの最南端ウスワイアから始まる。日本を出て成田→ニューヨークが飛行機で12時間、トランジットで6時間待ち、ニューヨーク→ブエノスアイレスが10時間。
↑南米最南端のワスカイアの朝焼け
長旅の疲れをとる目的もありブエノスアイレスで一日観光。夜は本場アルゼンチンタンゴの夕べを満喫。翌日早朝ブエノスアイレス→ウスワイア(南米最南端)まで飛行機で6時間、夕方乗船するまで町を散策。目的の船に乗るまでに、実に3日半もかかったことになる。
いよいよ乗船。荒れることで有名なドレーク海峡を2日半で南極半島近くに到着予定が、往きの瞬間最大傾斜が47.8度(普通大きくて38度位)で3日かかり、乗客の半数以上がひどい船酔いで、船内で予定されていた南極に関するレクチャーも出席者が少なかった模様。私も立つことも食べることも出来ず、ベッドから落ちないように必死でしがみついていた。トイレに行こうとしてドアなどにぶつかって全身青あざの上、頭部を何針か縫ってもらう人もいて、どうしてこんな船に乗ったのかと恨めしい思いだった。
↑南極観測基地 ↑上陸した南極大陸
ところが南極半島に着いてみるとすばらしい世界で、船酔いのことなんかどこかに吹っ飛んでしまった。 先ず、海の色が信じられない碧色。どうしてこんな色なのか。水がきれいだけでは説明出来ない何かがありそうな神秘的な色。我々以外船影も人影も一切ない。本船に寝泊まりして、南極半島や周辺の島々にゾディアックボート(渓流下りのゴムボートと似ているが強力なエンジン付)で次々と上陸する。膝までの長靴にオーバーズボン、上はスキーと同じくらいの服装。海が穏やかで好天の、条件の良い時しか上陸しない(出来ない)ので上陸中は暖かすぎる位だが、すぐ近くに氷が浮かんでいる所をゾディアックが凄いスピードで走るので、風と水しぶきが刺すように冷たく、救命胴衣を着けていても海に落ちたら助からないかもと、全員必死の思い。
南極の自然を守るために南極旅行条約でいろいろなことが決められている。上陸時には動物に近づきすぎない。ペンギンには5m以上、アザラシには15m以上近づかない。彼らの繁殖や子育てなど生活を脅かさない距離を保つ。鳥の巣や苔などを踏まないように細心の注意を払って歩く。どんな小さなゴミも捨ててはいけない、拾ってもいけない。食べ物飲み物は一切持ち込まない。トイレもだめ。いかなる所にも"落書き"などしてはいけない等。
出会った動物は産卵、ふ化が終わったアデリーペンギン、ジェンツーペンギン、ヒゲペンギンなどの親子とその集団(12月に行った友達はペンギン達がルッカリーで卵を抱いているところを撮してきた)、大きな図体で大儀そうに寝そべるゾウアザラシなどで、彼らは人間を恐れることなく、まるで仲間だとでも思っているように自然に振る舞い、我々は彼らの生活空間にお邪魔していると言ったこれまで経験したことのない動物とのふれあい方は実に爽快だった。
南極観測基地を訪問して内部を見学したり、日本人の訪問は珍しいと基地にあるお菓子(主に乾燥果実)を全部出しての大歓迎を受けたりした。
デセプション島は元南極最大の捕鯨基地で、もう使用されなくなった大きい鯨油用のタンクや鯨の処理工場の跡が残っていた。南極を自然のままに、美しくのスローガンから言えば撤去してもらいたいが、膨大な費用がかかると言うことなのか、歴史的事実として保存しておこうとの考えなのか、質問するのを忘れた。
又ここには活火山があり、氷河の上に火山灰が降りつもって一部灰色になっていたり、島の波打ち際の砂が地熱で温められ素足では火傷するほど熱く、小さい波がくると丁度良い入浴温度になるが、氷山からの大きい波がくると冷たくて震え上がってしまうというスリリングな南極随一の温泉があり、何事も経験と入ってみた。勿論更衣室はなく、外の温度はスキー場並み。濡れた水着の上に服を着込んでゾディアックで船に帰るのだがその寒かったこと。1時間も放置されれば凍死しそう。
ルメール海峡を渡るときは透き通るような碧色の氷山にびっしり囲まれ、その神秘的な世界に引き込まれ甲板にいた人は全員声無し。シャッターの音だけと云う感動的な時間を経験したのだが、同じ頃、機関室では船の全砕氷力を出し切ってやっと通過できたと胸をなで下ろしていたそうだ。氷山に閉じこめられると動けなくなって遭難するし、もう少し後ではルメール海峡に入ることさえ出来なかったと言う。自然の大きい力を感じ、我々の運の強さに感謝した。
上陸した所はデセプション島の他、エレファント島、クーバービル島、キングジョージー島等と南極半島のパラダイスベイやニッコーハーバー等。
帰りの船は行き以上に揺れ、瞬間最高傾斜50度と言う想像を絶する揺れ(新記録)の中、夕食時にマグカップでサーブされたスープが空を飛び、女医さんが食事中椅子ごと倒れ、後ろのテーブルに頭を強く打って頸椎損傷、事務室ではコンピューターが落下しマネージャーが足の骨を折るなど怪我人続出。
私は「行きの失敗は繰り返さない」と決心。上手に薬を飲み、山岳部で鍛えられた根性で、体の角度をしっかり取りバランスよろしくトコトコと歩く技術を習得して快適な(?)船旅にした。船内のフランス料理も、食後のデザートもお酒もしっかり味わい、レクチャーもバードウオッチング、ホエールウオッチングも楽しんだ。
怪我人続出の後はなるだけ早く患者を病院に運ぶために最短距離を猛スピードでとばして2日余りで帰港。パトカーの出迎えを受けた。
2週間の日程で実際に南極を楽しめたのはたった3日。一寸効率が悪い感じだが、船の中では毎日「南極探検の歴史」「南極条約と南極の将来」「南極の科学と地理学」「南極の鯨」「海鳥」「極寒地でのダイビング」等興味深いレクチャーが、それぞれの専門家によってスライドを交えて行われ、充実したプログラムだったと思う。それにしても夢のような3日間のために片道28時間の飛行機と3日間も船に揺られたのだから、余程物好きな集団だということになる。
南極点踏破記事などで大きく報じられる南極大陸と、私が行った南極半島との差があまりに大きいのに驚いたりがっかりしていらっしゃることだろう。私自身ももう少し厳しいものを期待していたが、南緯も遙かに異なるし、夏秋の観光シーズンに観光客として訪れたのだから仕方あるまい。それなりに大きい発見もし、エンジョイした。
藤本さんから南極の山に関心があるとのリクエストがあったので送ってもらった資料や、船のスタッフの話をまとめてみる。
イギリスのアドベンチャー・ネットワーク・インターナショナル(ANI)がチリの南端プンタ・アレーナスから南極のVINSON MASSIF(4897m)(78 35 S, 85 25 W)のベースキャンプまでスキー付きの飛行機を飛ばしている。(1時間20分)真夏の12月〜1月がベストシーズンで、ベースキャンプから最低2日〜2週間で頂上をアタックしてベースキャンプに。平均10日。山そのものは難しくないが、厳しい寒さと標高から14,000フィート以上の山の経験、アイゼン、ピッケル等の高度な使用技術が要求される。グループまたは個人でどんな登山をしたいかANIのスタッフとよく話し合ってプランを立てる。医療、助言、調査、地図、天気予報、食事、ガイド、シェルパー、貸し装備等登山者の必要に応じて提供する。費用はチリのプンタ・アレーナスから南極往復と契約内容によって決まる。日本からチリまでの往復と,氷上飛行場(南極点近く)の条件によってはチリで出発を待つことが多く、その間の滞在費(物価は安い)は自己負担。
Vinson Massif以外の可能性
1.Dronning Maud Land
(72 30 S, 12 E on the edge of the Indian Ocean)
1500mから3148mの山々。岩がよく、雪が少なく、24時間明るい。
2.Transantarctic Mountains
南極の東から西へ2000マイルも続き、100以上の未踏の山々。
もっと詳しい情報はANI 27 London End, Beaconsfield, Bucks. HP9 2HN UK.
又は、Marine Expeditions
東京区中央区日本橋兜町11-8 第3共同ビル5F
(Tel 03-5623-3586)
E-mail:khanaoka@bd.mbn.or.jpの花岡さん迄。
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