ペルーインカ文明を尋ねて

2001/12/23-2002/1/2

佐々木惣四郎

12月23日バンクーバーに住むWIFEと共に、安くする為にコンチネンタル航空を使いバンクーバーをたち、ヒューストン経由ペルーのリマに24日夜到着して旅がはじまった。空港は、3年前山登りでワラスに行った時と比して民間運営になっており、きれいで明るくなっておりスムーズな入国ができた。ホテルは、ミラフローレンス地域にあり、後刻海岸べりが大開発されている事が解り、食事を楽しむ事ができた。
 今回の旅の主範囲であるリマからクスコは、南緯12度から15度に属し、アジアで言えばジャワ島のさらに南に属し、気候的にはアンデス山岳地帯(シェラ気候)となる。
インカ文明についてほとんど無知の状態での旅であったので、今回の収穫は、インカ文明 がもっと古いものと思っていたが、1532年スペインのフランシスコ・ピサロに亡ぼされるまでの約400年間の独特の文明である事が解ったことであった。
また注意すべき事は、高度が高く、高度への順化が必要で、行動日程に工夫がいる。
12月25日  リマよりクスコ(高度3360m)へ

 リマから約1000KM離れたクスコについて午後、3時間の観光ツアーにでかけ市内の「太陽の神殿」、郊外のサクサイワマン、タンボマチャイ、プカラプカラ、ケンコー等のインカ文明・石の遺跡をみてまわった。この日始めて、インカ文明の石組みの素晴らしさに接した。「カミソリの刃一枚すら通さない。」という評判であるが実際見ないと実感難しいと思う。遺跡は石ばかりという感じであっけなかった。
 クスコの町は、世界遺産に指定されており、インカの礎石にたつ教会や邸宅で、ほとんど全てスペイン以後に建てられたものである。薄茶色の屋根で全面的におおわれ、一見した感じではとても整然としている。静かなたたずまいであり、人々の暮らしも貧しいながらどことなくユッタリとしていた。スペイン以前のいわゆるインカ文明というものは遺跡以外極めて少なく、敢えていえば昔のインカの道ぐらいとの事であった。
夜はフォルクロア(歌と踊り)の店で食事を楽しんだ。
12月26日  マチュピチュ(高度2280m)見学

 クスコより往復8時間弱かかった。空中都市として有名なマチュピチュは、1911年ハイラム・ビンガムにより発見され、400年の眠りから覚めたものであるが、素晴らしいの一言にすぎる。天体の動きがすでに構築物に具現されていた。
汽車で向かうのであるが、ウルバンバ川にそってインカ時代の幹線道路といわれたビルカバンバの山道が続いており、インカ古道といわれトレッキングコースとして残っている。マチュピチュは、汽車の終点よりバスにのり400mの高度を登るのであるが余りの山奥に度肝を抜かれた。
日本人ガイドを専用についていたので、一つ一つの遺跡につき根ほり葉掘り様々な説明を受けることが出来て楽しかった。インカの世界にのめりこんだ一日であった。
12月27日  クスコよりプーノ(高度3850m)へ

 この日はクスコよりプーノにゆく汽車がゆかない日であったので、車をチャーターしてガイドと共にプーノへ入った。4000−5000mの山が連なり、さらに広い田畑が続き6時間のドライブであった。途中4300mの峠や温泉があり、アルパカも多く見られユッタリとしたハイキング気分の移動であった。道路は、デコボコがなくよく整備されていた。プーノにはチチカカ湖があるのである。
畑が延々とつらなり高さを全く感じさせない風景である。
12月28日  チチカカ湖(高度3812m)ウロス島訪問

どことなく神秘的な雰囲気を漂わせるチチカカ湖は、琵琶湖の12倍で余りに巨大すぎて実感を得るにはいたらなかった。ウロス島は、この湖にトトと呼ばれる葦でつくられた「浮き島」である。現地のインヂィオが実際にこの浮かぶ島で生活しており、一生暮らすのであるが、こんな所で生活ができるのは不思議な感じがした。歩いてみるとやはりフアフアして水に浮いている事が実感できた。
島よりの帰りプーノの市内観光をしたが道路上の屋台では、インデイオが多くみうけられた。店では非常に多くの野菜が売られておりやはり高さを感じさせない。
12月29日  プーノよりアレキパ(高度2329m)

アレキパに向かう途中、シュスタニ遺跡に寄ったが、石塔の墓であり、わずかにインカの名残が感じられる程度であった。ただ、ここからのウマヨ湖の眺めは素晴らしいものであった。
ペルー第二の都市であるアレキパでは高度がようやく通常になり、これまで頭痛に悩んでいたWIFEがアルコールを飲めるようになった。ここには日本人観光客は、ほとんどこないとの事であったが、独立峰であるミステイ山(6091m)、チャチャニ山(6075m)の山がすぐ近くにあるという事でワザワザ出かけてきたのであるが、空港からクッキリとこの2山が見えて満足であった。山には、ガイドもつき山登りも出来るとの事。

12月30日  アレキパ見学―リマへ

時間不足で郊外にゆけずサンタカタリナ修道院をはじめ、教会巡りをした。数字によればペルーの95%がカトリック教徒といわれ、ここにも教会は実に多くあり、訪ねた教会ではどこも土地の人が熱心にお参りにきていた。クスコ、プーノと共に、都市自体がローマカトリック教会を中心とする都市形態であり、生活形態でもある。

12月31日  リマ観光

専用のベテラン日本人がガイドにつき一日アテンドしてくれた。クリストバル丘より、天野博物館へ行き、紀元1000年頃に栄えたプレ・インカ(インカ文明以前)のチャチャイ文化につき、日本語説明を2時間弱聞いた。よくその時は解ったが、今は感じしか覚えていない。
また国立人類学考古博物館ではプレ・インカよりインカまでのものが所狭しと並べられており、日本人ガイドの説明がついてくれ面白く、興味をそそるものであった。

最後に

 1月1日再度 リマ市内をブラブラしたあと、夜半ヒューストンに行き、NASAを見学の後、バンクーバーに1月2日帰宅して旅は終了した。
テロの影響で日本人観光客は大きく減少しており、なんだかユックリした旅の様に感じたがインカ文明については正式な記録がない為、ほとんどは後刻、歴史家、学者による推測の文化の側面が強いという事である。
観光の見どころはクスコとマチュピチュであり、ここにあと2日程ユックリすべきであった。

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