山岳遭難時の救助活動と費用について
元北穂高小屋アルバイト 藤本 拓
  藤本 勇の長男の拓と申します。学生時代北穂高小屋で働いていましたが、場所柄山岳遭難にはよく関わっておりました。 
今回の父の事件で山岳保険の重要性を再認識しましたが、私の経験から北アルプスでの実際の山岳遭難で救助活動と費用について述べさせて頂きます。尚、私が山にいた時期は今から8年以上前の話で費用の話などは現在の物価上昇などを考慮するとあまり参考にはならないかも知れませんがご容赦ください。
 北穂高小屋で最も多かった山岳遭難は滑落・転落事故です。今回の父のケースもこれにあたります。一般縦走路(一部バリエーションルートやクライミングルート含む)で浮石を踏んだり、ガレ場でスリップしたりしてそのまま下部に転落するパターンがほとんどです。北穂高周辺はキレットや北穂〜奥穂のコースなど難所が多く、ここで滑落してしまうとほとんどの場合大事故(最悪死亡に至る)につながってしまいます。
 ここで実際の事故発生時どういう流れで救援活動を行うか簡単に述べてみます。事故発生後通常同行者や他のパーテイの登山者が山小屋に通報します。(最近携帯電話の普及で電話による通報も多くなっているようです。)この時山小屋は事故状況を聞いてすぐに警察に連絡します。その上で警察の指示を仰ぐのですが、5月の連休と7・8月には涸沢に長野県警の山岳常駐隊がいますので通常彼らが主に救援活動を行い、小屋番はその支援を行います。
 しかし常駐隊のいない時期は小屋番が救助にあたる事になりますが、この時点で救助する人1日あたり1万〜2万程度の日当を事故者は支払う必要があります。
警察の人であれば公務員なので必要ありませんが、山小屋従業員は忙しい業務の間に救助活動を行う訳ですから当然日当は支払う必要があります。
 尚、注意しなくてはいけない点として二重遭難があります。過去に小屋番が二重遭難してその保証の件で大問題になった経緯があり、現在は県警の方で小屋番に救助活動時に保険をかける様になっています。その為、小屋番は県警の許可なく救助活動はできません。また、小屋番は毎年小屋閉め後の11月後半に大町市にある長野県山岳センターで、県警主催の救難講習会の参加を義務付けられており、救助技術のレベルアップに努めています。
 余談が長くなりましたが、県警あるいは小屋番が通報を聞いて事故現場に到着して最初に行うことは事故者の生死の確認と、他の登山者への二重遭難の防止です。そして事故者が生きており、一刻を争う状況の際はとりあえず安全な場所まで事故者を移し、ヘリによって病院(通常は豊科日赤病院)まで搬送することになります。 
 この時、県警の持っているヘリ「やまびこ号」は機種が大変大きく、各山小屋の大きなヘリポートにしか発着できません。さらに風雨に弱いという致命的な欠点があるため、現実的に遭難救助に役立つのは民間のヘリになります。
 民間ヘリは東邦航空という豊科本社の会社で通常出動要請から30分程度の時間でスクランブル(緊急出動)できる為、多くの登山者の命を救っています。東邦航空のヘリはスイス製の小型軍用ヘリを使用しており、機動性が高く、何よりパイロットの技術は素晴らしく日本一だと定評があります。私も全く視界の効かない濃いガスの中をパイロットが経験と勘だけをたよりにホバリングしてくるのを見て感動した覚えがあります。
 この民間ヘリの費用は飛行時間(分)+整備費用+乗務員・整備員の日当で計算され通常1回50万〜100万円が相場です。たまたま山小屋の物資の荷揚げでヘリが上高地のヘリポートにいた時などは飛行時間が少なくなる為、かなり安くなるようですが、反対に視界が悪くなかなか事故現場まで到着できない時は高くなります。
 一応事故現場では民間ヘリの出動を要請する前に、事故者(意識が無いときなどは同行者や事故者の家族)にヘリの費用の説明をして承諾をもらうようにしていますが、
命はお金にかえられないので、承諾する場合がほとんどです。
 ヘリを呼ぶまでも無い事故であれば、県警や小屋番が事故者を背負って下山することになりますが、一見大丈夫そうでも山の滑落・転落事故では頭部を強打している事が多く、ゆっくり下山している間に容態が急変して亡くなった事例も結構ありますので、個人的にはお金がかかってもすぐにヘリで病院まで行って精密検査を受けるべきだと思います。
 事故現場がわかっており、事故者を収容できた場合でさえ上記のように莫大な費用がかかります。ましてや事故者をなかなか発見できずにヘリや小屋番の人を使って大掛かりな捜索活動を行う時はすごい金額の費用となってしまいます。今回の父の事故で改めて山岳保険の重要性を再認識しました。
 実際の山岳事故で現場に行ってよく思う事に「どうしてこんな所から落ちたのだろう」というのがあります。一見危険な崖や鎖場では案外事故が少なく、むしろそうした危険箇所を過ぎた平坦な場所での事故が非常に多いのです。これは危険箇所を過ぎてほっとした登山者の心理状態が山岳事故を引き起こしているからだと思います。
どうか登山者の皆様、登山中は気をぬかずに山小屋に着いてからのんびりして下さい。
 山を愛するものの一人として、今回の父の事故にあたり述べさせて頂きました。

                                                藤本 拓