剣沢大滝完全遡行
1976年(昭和51)5月

片岡泰彦(1980卒)

黒部川の十字峡から剣沢の二股までの間に「幻の大滝」として人の目に触れさせない滝がある。その剣沢を十字峡から二股までを大阪市立大学山岳部が1976年に完全遡行した時の記録である。その後、この大滝に入ったパーテーは積雪期も含め10隊ほどである。また、大滝を二度も登ったのは和田城志だけです。2004年の正月のNHKの番組で登山家の志水哲也氏が幻の大滝を紹介した。
時  期  1976年5月3日〜9日
メンバー 和田城志、片岡泰彦
 黒部川の一支流にして、黒薙川上流の谷をはじめ、黒部渓谷に登山家が入り込み、次第に原始の姿を人間に明渡してきた中でも、最後まで人跡未踏を誇った沢、それが剣沢である。
剣岳に源を発し、十字峡に至るまでの剣沢を、名高いものにしたのは、ちょうどその中程に位置する『剣の大滝』と、それを含む廊下帯の神秘性にあった。

 剣沢のパイオニアは、黒部の主、冠松次郎氏であり、冠氏の文章を引用すると、『剣沢の絶嶮は真に海内無双であって、台湾をなくした今日、この渓はどの雄渓は内地において他にこれを求めることはできない。黒部の合流点の十字峡の約960mから、剣岳の頂である3003mまで2000mの間において約750m、その間を狭く高い岩樋を穿って逆落し奔落している谷水は、淵や磧(カワラ)を殆ど見せずに、狂乱した深い流れを直線的に断落している。この谷の廊下の中央部には、剣の大滝と名付けた約200mの大瀑布があって、それを突破することは容易ではない。剣登山の目的をもって剣沢に集まる人達は、この廊下より上流の二俣から源流につづく大雪渓によって登頂するのであるが、二俣より下流約3丁の廊下へ入る者は殆どいない。ここは今日でも人跡未踏の絶嶮とされている。黒部の下廊下よりもさらに険しく、黒薙川の雄大に比べて、どこまでも深刻であり、一気阿成の谷である。』と・・・・・。

 そして剣の大滝は、鵬翔山岳会の2回にわたる挑戦の末、幻の大滝の全容を明らかにし、落差約140m、滝の数大小合わせて9段ということに落ち着いて、今日に至っている。それまでは三段説、そして戦後京都大学の3回にわたる調査による五段説がとられていた。
今回、我々は故安久一成氏が「機会があれば、もう一度大滝を登攀して剣沢をつめたい。しかし、この遡行の成否の決定は剣沢の雪渓状態にある。・・・残雪期ならば、最も安全で容易な魅力あるルートといえる。」と指摘されているように、他の記録と合わせ検討した結果、十字峡より剣沢を遡行し、源治郎一峰平蔵谷側下部ルンゼから上部名古屋大ルートより本峰という計画で、かなりの登攀用具、食料を持って、不順な天候のような5月連休最中の2日夜、大阪を出発した。

ゴルジュ内のトラバース  最下段の滝

左はゴルジュ内のトラバース。右は最下段の滝、右壁へ取り付く

 5月3日 晴れ 黒四ダム(8:40)→十字峡TS 1(14:40)
 祝日で、扇沢のトロリーバス乗車口には長い列。もちろんバスはラッシュなみ。「何故こんなに人が集まるのだろうか」と思うが、多かれ少なかれ我々も連休に住居を移動させる外出族なのだ。しかも毎年。とにかく、ダムサイトの喧噪を後に、本流に降り立つ。
 内蔵助出合までは河原ずたいのトレースを、出合で右岸に移り、雪渓の切れるところで左岸へ戻る。水量多く太腿までの渡渉は、冷たく頭にじんと響く。水平道は所々くずれているが、別山谷に近づくにつれて、雪渓が全体を被うようになってくる。が、部分的に陥没して水が勢いよく流れる本流が露出したり、クレバスがあったりする。もし白竜峡が通過できなかったら、戻ってハシゴ段よりガンドウ尾根下降の大回りをしなければならない訳だが、白竜峡は水平道が出ていて、なんとか過ぎる。
 その後も、水平道と雪渓を上下して歩かねばならず、重荷がこたえ、大変疲れた。聞くところによれば5月に十字峡まで雪渓をすんなり行ったパーティもあれば、全然行けないパーティもあるので、我々も苦労はしたが、幸運であった。今山行は雪渓状態の良否が占める割合が大きい。黒部本流、剣沢下部、剣沢上部。
 まず第一の問題は解決された。十字峡は何時来ても、緑深い中の、水と岩との融合が美しい。うっとりするような別天地である。
 5月4日 雨 
 TS 1(6:45)→剣沢デポ(7:45~8;10)→TS 1(8:50~9:10)→剣沢平の岩小屋TS2(10:20)・・偵察に向かう
 昨夜から雨が降り、出足をくじかれた感じだ。巻き道が、はっきりしないので、荷を半分持って、北尾根末端の踏み跡を辿る。20分ほど歩き、途中から雪渓のつまったルンゼをトラバース気味に下り、剣沢に降りた。意外に小さく巻け、見える範囲では雪渓は切れておらず、ひと安心。最下段の滝がしぶきをあげているのが遠望できた。
 荷を回収し大滝に向かう。剣沢平も雪の台地となっており、付近の岩小屋を整地してもぐりこんだ。
 雨の中を最下段の滝を偵察に出かけるが、滝壷手前の雪渓が陥没し水がごうごうと流れている。ただ幸運にも横に、かろうじて残っているスノーブリッジがある。滝のどっ、どっ、どっという音が、回りの側壁に反響して、いっそう恐怖感を加える。「崩れたら終わりだ」と思いつつ、忍び足で渡る。あとクレバスを3つ飛び越え、ついにI滝の前に立った。岩小屋から10分程の距離である。
 豪快!その一言。何万年もかけて水が作った芸術作品のような滝で、数100mの岩の樋を通ってきた水流が、くさびの形に削られた落ち口より、3mは飛んでいるだろう。そして、脈のような周期を持ってふき出した水は、滝壷の岩に砕け飛んで水煙になったり、あるいはそのまま空中を漂って霧となったり、あるいは、岩壁に幾筋もの白線を描いて落下している。かって写真で見たのとは段違いの水量である。あたり一面雨が降っている中で、しばらく、呆然とうっとり見入っていた。
 周囲は、数100mの岸壁に囲まれ、秘境剣沢の名にふさわしい所だ。滝の右手の岸壁にFixロープを認め、ルートを確認する。
ルート図
5月5日 雨のち晴れのち雨
 岩小屋TS 2(9;20)→タキ火テラスの上部(16:15~16:40)→TS 2(17:50)
 雨も上がったはずなのだが、滝の周囲は依然雨。少量の荷を持ってFixに出かける。雪渓をかなり、つめたところの凹角にハーケンを見つけ、そこから登る。岩は濡れ、朽ちた落ち葉が泥と共に岩を覆っていて、ビブラム靴はすべる。おそらく鵬翔山岳会のものと思われるFixザイルが目に入るが支点のハーケンは抜け、たれ下がって使い物にならない。草付をホールドにし泥壁に靴をけりこんだりする登攀で、傾斜もあり気が抜けない。
 3P目に下から見ると、ブッシュのバンドに見えるところに着いた。4P目のルンゼ状のところに太い針金がたれていて、その支点には、太い鉄のくいが打ちこまれていた。日電測量隊のものと思われたが、あの当時、ここを登ったなんて、当時案内人は本職とはいえ、考えられない。もっとも測量隊はタキ火テラスまで上がり、ずっと縄バシゴをかけたが、大部分の人夫が皆、多少の怪我をしたというのも、うなずける。
 タキ火テラスを見下ろせる杉の木の上についたが、時間も遅く、雨も降ってきたので懸垂下降で降りた。

最下段の滝の落ち口

最下段の滝(I滝)の落ち口

H滝の落ち口

H滝の落ち口

焚き火テラス下流を見る   焚き火テラスよりゴルジュ

左は焚火テラスより剣沢下流。 右は焚火テラスよりゴルジュ。

5月6日 雪 TS 2(9:00)→タキ火テラスTS 3(12:00)
 朝、起きると真白である。ガンドウ尾根も北尾根も白く冬化粧している。日が差してきたので出発すると、今度は大きなあられが降ってきて、互いに話しも出ない。
 Fixを回収しつつ登り、20m程の懸垂で潅木の生えた外傾台地に着いた。台地の端に2人には抜群のビバークテラスを見つける。そこより上流の方へバンドがあり、5m程で古いRCC型のボルトを発見。一本打ち足し懸垂をはじめたが、折からみぞれ激しくなり本日の行動を中止する。大岩壁の下では水流が白く泡立ち不気味に感じる。
 時間が早いので、G滝、H滝を偵察に行く。それにしてもすごいゴルジュである。その夜は、剣沢のせせらぎを子守歌として寝るが、なかなか眠れなかった。
5月7日 晴のち雨
 TS 3(7:20)→緑の台地(14:20~15:00)→TS 3(17:00)
 7mの下降で、今日の一日が始まった。まるで地の底に降りるみたいな気分。小さなスタンスに立つと、ボルトで体を吊らないとバランスを崩しそうだ。意を決して垂直のトラバースを開始する。半分ぐらいの石が浮いており草付で体を保つ登攀は極度に悪い。
 浮石や草付、泥を次々とゴルジュの中へほうり込むが、音は聞こえず波紋は出来ず、水流は何の変化もないように流れている。リスも有効なリスがなく、効かないハーケンを打ち足しつつ、かなり斜上気味のトラバースをする。小さなバンドより先は、かぶり気味の垂直な壁となっているので、再び下降。
 斜下に20mほどの下降であるが、途中小さなハングあり体を振られる。下にF滝が見えるが、とても3mもあるように見えない。あるいは水量の多いせいかとも考えられる。同じくG滝は7mとなっているが5mくらいにしか見えない。
 沢芯まで20mほどの所まで降り、そこから残置ボルト、ハーケンに導かれて、緑の台地を目指す。残置ハーケンは効いておらずボルトも手で触れただけで抜けるものもある始末。屈曲点は近くに見え、D滝がスダレ状に水を落している。E滝は雪渓の下より、しぶきをふりまいている。
 緑の台地は雪渓で覆われており、E滝の落ち口は別山側のルンゼからのデブリで埋まっていて、剣沢ゴルジュの真ただ中を横断できそうである。ガンドウ尾根側はD滝の滝壷で大きくえぐらている。鵬翔山岳会の登った岩稜はかなり急で、それを40m5P登らねばならない。ハングもあるらしいので時間を使いそうだ。
 剣沢上部の雪渓が直線距離にして50mほど見え、C滝が雪渓の下に見えるが、そこまで簡単には行けないとは、はがゆい気持ちだ。また上部の滝はどうなっているのか。二股までの雪渓状態はどうかと考えると、まだまだ先は長い。今日も緑の台地までテントを進めることが出来ず日程は遅れている。全国的に晴れているのに昼過ぎより雨。だが明日は快晴が望めそうである。
 夜、ルートについての会議。とは言え2人パーティだから話しはすぐに決まった。

F滝とG滝

上に見えるのがF滝、下に見えるのがG滝。

 5月8日 晴
 TS 3(6:05)→緑の台地(8:45)→剣沢上部雪渓(17;00)→二股近くTS 4(18:20)
 今山行始めての快晴だ。昨日Fixしたザイルを使って、登攀にかかるが下降やトラバースが多いので時間がかかる。それに荷物も、かなりの量だ。どこから飛んできたのか岩燕の大群が、狭いゴルジュの中をすごいスピードで急降下や背面飛行をくりかえし、必死の我々にもぶっかりそうである。
 五月晴れで、いつもよりは気分がいいが、下には暗い中をトロの所では透き通るように青く、滝の付近では白く泡立ちながら剣沢の水が流れている。Fixを回収しつつ進むが最初の40mのFixは荷物の関係より残置することにし、つまらない意地より切断する。これで戻ることは出来なくなり先に進むのみとなった。
 緑の台地より2mのシュルンドを飛び越し、剣沢の大瀑布帯を横断する。ここからのD滝の眺めは素晴らしく、それは美しく均整のとれた滝で、定規で引いたように綺麗に広がって下に落ち込んでいる。角度があまりないので水が岩上を走っているようだ。流れは大きな滝壷を作り、日が差し込む度に虹をかけている。最下段の滝を『豪快』というならば、D滝は『優美』と言っても差し支えないだろう。共に大瀑布帯を代表する滝である。
 70度ほどのD滝の側壁は研がれてツルツルなので、ほとんど人工登攀で登り落ち口に着いた。ここで左岸に渡ると簡単に雪渓に達することが出来るのあるが、流れに一歩でも足を入れようものなら確実に足をすくわれそうな水量である。再び、悪いC滝の滝壷のトラバースを行う。だが、この水心上部のトラバースは水流が間近に見えるので、顔が引きつるような恐怖はもう感じなかった。
 上部雪渓に達しザイルでザックを引き上げるが、水につかってしまい剣沢と綱引きをして荷を引き上げた。ラストも登ってきて2人で雪渓を少し歩いてみても、ずっと雪渓は続いている。A滝とB滝は雪渓の下だ。残念な気持ちとほっとした安堵感が交じり合う。否、ほっとした気持ちの方が強かった。
 振り返れば冠氏が撮った写真と同じ景色がそこにあった。両岸そそり立つ極端なV字谷、別山側の顕著なピナクル。
 登攀用具を片付け、二股へと向かう。まだ廊下は続いており、途中3ヶ所雪渓が陥没していて、かなり緊張させられた。夏や秋の通過の困難が想像される。

人工登攀1   人工登攀2

ザイルを二重にしての人工登攀の連続であった。

D滝の左にルート開拓

D滝の左壁にルートを拓く。

5月9日 晴れ
 TS 4(6:30)→剣御前小屋(13:05)
 20分ほど歩くと二股についた。空は青く気持ちがよい。平蔵谷出合で荷物をデポし、下部ルンゼを登りに行くが、所々氷瀑となっておりルンゼには雪が、びっしり付いている。日が当たり初めて、氷片の落下激しく、無理をせずに引き返す。剣沢のスキーヤーの話によると、先日50cmくらいの新雪が降ったとのこと。なるほど剣岳は冬化粧していた。
 源頭である御前小屋からは広く開けた剣沢が見えるだけである。とても信じられないように顔を見合わせ笑顔をかわした。後は気の抜けたように、のんびり歩いて天狗平へ。

「装備」
ザイル(9mmφ x 40m)2本。Fix(9mmφ x 40m) 2本(うち1本は残置)
ハーケン30本(31回使用、残置5)。ボルト60本(残置30)

垂直のトラバース

文章 片岡泰彦
写真 和田城志

                         

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