剣沢大滝に関する記録と資料

年月 出典 記録の概要
大正8年 剣沢五十年
 岩永信男
 岳人207
近藤茂吉氏が剣沢を下降し、黒部本流に出ようと企てた
が、果たせず、仙人谷を下る。
剣沢五十年 小暮理太郎氏が剣沢を見ようと、鹿島槍から牛首尾根を
下る。
剣沢五十年 沼井鉄太郎氏は東谷を下って棒小屋沢右岸通過の際、剣
の大滝を見る。「幾つもの銀盤を銀糸でつないだような剣沢
と形容。
大正15年8月 山渓記2
冠松次郎
冠・岩永氏らが二股より大瀑布帯上部まで、そしてガンドウ
尾根より、滝見沢(ワレ沢)を降りようとしたが、雪渓状態が
悪く降りられず。
昭和2年8月 十字峡より剣沢平を経て、最下段の滝下まで。
(大滝を間近に見た最初)
3年春 剣沢五十年 二股より雪渓ずたいに簡単に大滝まで達する。
4年6月 山渓記2 冠・岩永氏らが文部省の撮影隊を同伴し、大滝の真上まで
下る。
6年夏〜秋 日電測量隊、最下段の滝右壁よりタキ火テラスに達し、針
金と縄梯子をつけ、上流からまわってきた者と連絡し、瀑布
帯を測量する。
6年11月 現代登山全集
剣・黒部(剣の大瀑行)
塚本繁松氏。縄梯子を利用してタキ火テラスに上がり、
中段の滝を見る。
7年8月
8年8月
剣沢五十年 二股より下るが残雪状態悪く、近寄る事が出来ず。
9年8月 剣沢五十年 二股より下り、大瀑上の岩壁まで辿りつく。沢の核心である
右曲点の一部を見て、大瀑下の本流も見る。
36年4〜5月 京大報告NO.9
岳人173
京都大学山岳部、滝見沢を下り最下段の滝下まで。
および二股より下降。
36年7月 京大報告NO.10
岳人173
京大山岳部、ガンドウ尾根より滝見沢を下り、大滝尾根登攀
37年7月 京大報告NO.11
岳人173
京大山岳部、滝見沢を下り最下段の滝右壁より、タキ火テラス
37年9〜10月 山渓37−12
山渓39−9
鵬翔山岳会、第一次調査隊のあと、幻の大滝の全容を明らか
にして
、滝の数9段を数える。大滝の完登。
48年4〜5月 岳人338 秀峰登高会、大滝尾根第2登および大滝周辺について
・ 山渓記 全五巻 (春秋社)
・ 現代登山全集 全十巻 (東京創元社)
「写真」
岳人182冠松次郎氏。岳人235安久一成氏。最下段の滝、内部ゴルジュ
山渓37−12幻の大滝を探る安久一成氏。他、山渓記・黒部渓谷などにも写真が収録されている。

後記
 我々は2人パーティという気軽なメンバーと、岩登り形式による登攀でスピーディに行動し、剣沢の完全遡行を行った。5月が雪渓の状態が最も良く、成功の可能性が高いという予想が当たった訳であるが、五月といえども雪渓状態が悪く大滝に全然近づけないような年もあるので、運もよかったのだと思う。
 また2人という関係より、物量作戦が出来なく実際入山のときの荷物は、軽量化を図ったにもかかわらず、かなりの量となった。
 大滝周辺の今後の課題は、夏および秋の剣沢の遡行であるが、十字峡より大滝下までのルート工作。そして剣沢上部廊下帯の突破など、剣沢の水量、残雪の状態が良くなければ非常な困難が予想される。また我々も、かなりのボルト等を大滝に打ち残して来たが、両岸数百米のゴルジュでエスケープルートは全然なく、登攀用具は十分に用意せねばならないと思う。
 加えて、大滝尾根支稜の最下段の滝壷に落ち込む岩壁は規模も大きく、中段に2段のオーバーハングを有し、上部はブッシュも全然なく、垂直にそそり立っている。大滝を見ながらの登攀も剣沢ならではの趣があると思う。
                      (片岡泰彦 記)                
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