岡野幸義さんダイキン工業の社長に就任される

 大阪市大山岳部を昭和39年に卒業された岡野幸義さんが空調機器メーカーでは日本国内だけでなく世界的に有名なダイキン工業株式会社の社長に就任された。

 岡野幸義さんが現役時代に冬の剣岳での合宿で共に苦労した同期の連中が社長就任を祝った。冬の剣と言えば豪雪で有名、その東面でも急峻な小窓尾根から剣本峰を縦走し早月尾根を下った快挙を岡野さんは龍田紘男さんと実行された。その快挙を支えたサポート隊の連中などが、内輪のお祝い会の席上でも思い出話に花が咲きました。
 小窓尾根から縦走を終えて早月尾根を下山するとき、岡野さんはサポートの人と共に突風に吹き飛ばされフィックスザイルに片手でぶら下がり池の谷への滑落を逃れた思い出など……。

お祝い会1

平成16年6月に40年前、厳冬期の剣岳小窓尾根を登攀した仲間で社長就任のお祝い会が開かれた。
画面の右側の手前が岡野氏。
    

お祝い会2  お祝い会3

40年前の小窓尾根登攀や剣岳の厳冬期の厳しさの話しに花が咲く。


 日経新聞が社長就任のニュースを次のように報じている。
予算に厳しく議論好き――ダイキン工業社長になる岡野幸義氏

 まさに青天の霹靂(へきれき)だった。井上礼之会長から呼ばれたのはゴールデンウイーク直前。腎臓の持病が悪化した北井啓之社長に代わり、突然、トップ就任を言い渡された。北井氏の病状は聞いていたものの、その瞬間は「絶句した」。
3年後輩の北井氏を支え、財務担当副社長として退任まで務めあげるつもりだった。

 今回の人選は「現執行体制を維持することを優先した」(井上氏)というように、緊急避難的な側面が強い。とはいえ、業績計画の立案を一手に担い、数字という切り口では社内を最も知り尽くしている1人だ。

 柔和な顔立ちに似合わず、予算管理は人一倍厳しい。疑問点があれば直接、事業部門のフロアに出掛けていき、担当者の席の横に座り込んで「ここをこう変えれば予算が達成できる」と議論をふっかける。

 シェア首位の業務用エアコンに加え、家庭用でも業界トップクラスに引き上げた"中興の祖"井上氏の信任も厚い。工場の総務担当者だった井上氏と労働組合の代表として夜を徹して議論した仲だ。
「もともとおっちょこちょいで、副社長になったんだから落ち着けと諭したら、『あなたもね』と切り返された」(井上氏)。

 大学時代からの登山家。「ちょっと前までは、ゴルフでは運動した気にならないので、プレーから帰ってきてから近くの山に登りに行っていた」。
持ち前のバイタリティーを発揮すれば、本格政権と評価される日がくるかもしれない。
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