『さまよえる湖』の水をもとめて…

タクラマカン砂漠ロプノール踏査探検行1998.6.5-6.20

武部秀夫(日中合同ロブノール探検隊.98)

プロローグ
 1996年12月30日、私はインドのラジャスタン州タール砂漠を2頭の略駝と1人のムスリムと旅をしていました。名前はラジャー(略駝年10歳)、ラジュー(〃7歳)そして19歳のディナ。この日から2泊3日の砂漢の旅が始まります。360度地平線のタール砂漠。サハラ砂漠やタクラマカン砂漠とはどんなところだろう。
 どんな砂漠の民がいるのだろうか。満天の星の下でうとうととしていました。いつかチャンスがあれば行ってみたいなと思いながら。ヒマラヤとは大きく違った地域を大胆に踏査してみたい。
ロプノールヘの旅
 タール砂漠行から1年6ヶ月後。1998年6月5日一20日関西の探検好きのグループ10名、中国側からは新彊TVはじめ新彊中国旅遊社などのスタッフと合同で中国新彊ウイグル自治区にあるロプノールをジープで縦断し「水」をさがす踏査探検行に参加しました。
 トルファンからロプノールを北から南へつっきり北緯39度35分48秒、東経90度05分21秒の地球上のポイント(ロブノール南限湖岸域)に1993年には実在していた幅300m長さ1kmの『水場』を求め、さらにはクムターグ砂漠を北東にハミまで約700kmの砂漠踏査でした。
6月5日(金) 関西空港(15:35)CA922便→北京(19:30)
 前日は0Bの方々と毎日新聞、放送の方々20名の、7月からのチペットのニンチンカンサ峰遠征の壮行会をしていただき、二日酔いで関西空港に向かう。空港で広瀬さんの見送りをうけ日本側隊員10名集結。予定通り関空出発、上海にて1時間のトランジットの後北京時間19時30分に北京首都空港に無事到着。
 四光峰遠征以来9年ぷりの北京市内へは高速道路ができていたり高層ピルが多く、中国の変貌に驚くばかり。北京にて中国側スタッフの楊青さん、呉江麗さんと合流。王府井の台湾飯店に投宿。
6月6日(土) 北京(14:40)→ワルムチ(18:10)くもり
 午前中は故宮見学。いつ見ても紫禁城のスケールの大きさには恐れ入る。昼から新彊航空便でウルムチヘ。18時過ぎ無事到着、3時間30分のフライトは長く感じる。雲が多く砂漠や天山山脈が見えなかった。ウルムチ空港で新彊TVが待ちかまえていたのにはまいりました。
 新彊にやっと着く。遠い。自治区の区都ウルムチは人口150万の大都市。旧市街はウイグル人が多く、新市街は漢人の町.高層ビルが建ち、本で読んだ面影はなし。空港から40分程で新市街の海港酒店に投宿。新彊側が気を使ってか、5つ星ホテル。北京時間なので18時といえども昼のさかり実際は4時くらいの感覚。21時より旧帝政ロシア時代の領事館であった伝統あるコンロン賓館で中国側スタッフと合流、そして宴会。アルコール度56度の白酒の限りなきカンペイにまいる。新彊TVからの毛さん、曹さん、ジープ隊の李さん、字さん、王さん、劉さん、トラック隊に新彊中国国際旅遊社副社長のワンオーさんらを紹介される。
 明日からトルファンに向かう。通訳の楊さん張り切り、その後パザールでシシカバブーを食いながら新彊ビールをやる。
6月7日(日)ウルムチ(9:50)→トルフアン(14:00)くもり
 トラックはトルファンで合流予定』ジープ4台で出発。
 すべてランドクルーザーで、内2台は新車ランドクルーザー100。途中の達坂城までは緑が目にはいり豊かさを感じる。トルファンヘも高速道路建設中。ウルムチトルファン間180km中風力発電用の大風車を多く見る。トルファン手前35km地点から砂漠地帯にはいる。
 シルクロードに来た。トルファンは天山からの水をカレーズという地下水道で潅漑にあて緑多きオアシス。ウイグル人が多い。
トルファン賓館に投宿。ドイツダイムラー製の48馬力のトラックと合流。食糧を買い足し、午後から西郊の交河故城を見学。漢代(BC2世紀)の西域経営の中心地安西都護符があったところ、気持ちは2000年前ヘタイムスリップ。暑い。気温38度湿度20%。


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