「さまよえる湖」の水をもとめて・・・(3)
6月14日(日) TS6(8:25)→彰加木石碑ポイント(17:00)→TS7(22:OO)
17時最高気温48℃湿度8%記録晴れ
ロプノール南湖岸を東に進む。アルチンターグ山脈からのワジが10数本ロプノールヘはいっている。砂砂漠なのでルートを選ぴながら進む。17時、中国の砂漠探検家影加木が1987年6月17日に行方不明になったところに石碑がある(N40°12'16″,E91°52'29″)がここで供養をする。暑い。ついに気温48℃湿度8%を記録する。22時ロプノール東端の砂砂漠にて野営。(N40°18'17″,E92°11'24″)
6月15日(月) TS7(8;15)→6/16 7:00ハミ加格達賓館着 晴れ
出発後すぐにトラックがスタック。前輪左右60p砂に埋まる。今度は簡単に脱出できそうもない。延々6時間日本中国全隊員で砂をかきだす。気温40.8℃の中全員バテる。砂砂漠のアリ地獄は恐ろしい。脱出後進路を東北真にとる。敦煌への分岐地点の北緯40度20分55秒、東経92度16分02秒を過ぎ、ロプノール湖岸のタマリスクが多く繁殖する地帯をルートを選ぴ進むが、北緯40度20分55秒東経92度17分30秒地点で再ぴスタック。
今度は下が水分を含んでいる地形なので脱出不可能と判断しトラックを放棄する。2日分の燃料、水、食糧をジープ4台に移し夜を徹してハミに直行。途中北緯40度23分37秒東経92度21分15秒に唯一の真水井戸あり。体を洗う。ロプノールと別れる。
↑ロプノール旧湖床南岸にて、ついにトラックはスタックし放棄する
6月16日(火) ハミにて休養晴れ
シルクロードの通週都市なので外国人は少ない。3っの大きなバザールがあり案しむ。ハミ瓜の収穫時期が9月なのでなかった。
6月17日(水) ハミ(9:00)→ワルムチ(19:00)晴れ
ハミから国道を一路ウルムチヘ。トルファン手前のチェルチェンで昼食。ウイグルうどんをいただく。火焔山を右手にトルファンの町を左手に送り、夕方ウルムチ着.1700kmの走行。夜合同の祝賀会また白酒の嵐。
6月18目(木)天池ツアー晴れ
天山山脈のボゴダ峰を見にいく。奥田君が昔、日本山岳会隊で登頂した5500m峰。美しい山。天山北面は水が多く緑が多い。南面と対照的だ。ウルムチに戻り自治区博物館に行く。「ローランの美女」はじめ2000年前に生きていた古代人のミイラを10体見る。「ローランの美女」は美しかった。
6月19日(金)ウルムチ(10:25)→北京(14:00)晴れ
飛行機からのボゴダ峰は非常に美しかったた。北京で明日の大阪行CA921便のリコンファームをする。王府井の新華書店、外交書店で山の本を購入する。夜は久しぶりの本中華、羊肉とおさらば。
6月20日(土) 北京(8:40)→関西空港(14:40)晴れ
シルクロード、新彊ウイグル自治区はいい所でした。
山深きタクラマカン砂漠の遥か南コンロン山脈のウルグムスターグ峰に登り、ロプノール、ローランに行きたいものです。
★踏査隊の成果★
6月8日にトルファンをジープ4台、トラック1台で出発しクルクターグ山脈を越えロプノール旧湖床北湖岸より縦断開始。
6月13日にロプノール旧湖床南岸に到着。車両による初縦断踏査終了。その後進路を北東にとりロプノール旧湖床南東岸を進み、アクターグ砂漠を越え6月15日にハミに到着。
ロプロール旧湖床南岸の北緯39度35分48度、東経90度05分20秒に1993年には幅300m長さ1kmに存在していた「水域」確認地点に到達するも1998年6月13日現在では「水」を現認できませんでした。
★ロプノール小史★
古代中国(漢代BC200年ごろ)漢書西域伝でローラン王国の話とともにはじめてロプノールの記述がでます。「塩澤」と呼ばれていました。以来、6世紀に忽然とローラン王国の名が歴史上消えてかロプノールの名も消えました。
今世紀初頭スウェーデンの偉大な中央アジア探検家のスウェンヘディンとロシアのブルジョワルスキーとの間で論争になった「さまよえる湖」論争で一躍歴史上に登場しました。
1901年のヘディンの探検時にローラン遺跡が発見されましたが、タリム川の水量が減っていてロブノールには「水」が現認されませんでした。しかるに1920年の最後の探検時にはタリム川の水量が増え、カヌーでロブノールまで到達できました。
それ以降は2度と満々と水をたたえることはありません。新彊科学院の話では、地下には大きな水脈があることが科学的に確認されているようです。まさにロマンの地であろうと思われます。
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